2018/03/06 亀戸散歩 01 亀戸駅/亀戸駅前/江東東税務署/文泉公園/ナベカイ/錦糸橋

24時間勤務アケで亀戸から小村井まで散歩。
梅の季節なので、亀戸天神と小村井香取神社をメインとする。



亀戸駅




亀戸駅



亀戸に何回か来たことがあったけど、こんなオブジェがあるなんて知らなかったなあ。
他にもあるとのことなので、探してみようと思う。




◆江東東税務署



◆文泉公園

すぐ隣は小学校かな?
学校があると写真撮りずらい・・・・。
怪しいおじさんなんで、犯罪者と間違われそうだものね・・・・。



◆ナベカイ

調べてビックリ。
解体屋さんなんだね。
渡辺解体でナベカイらしい。
HPをみてみたら、このキャラクターでグッズも出してるみたいだ。



◆錦糸橋

横十間川に架かる橋。






続く。

2018/03/06 亀戸散歩 02 まちなみ景観賞/亀戸銭座跡/日清紡績創業の地/亀戸給水所/天神橋/亀戸天神社石碑

横十間川沿いに北へ向かう。
google mapに載ってない史跡をみつけた。



◆まちなみ景観賞



江東区のHPによると
「まちをひきたてる魅力ある建物やその周辺、まちなみ、地域活動などを表彰した賞です。」
とのこと。
現在は募集していないと載っていた。


一覧があった。
http://www.city.koto.lg.jp/390112/machizukuri/toshi/kekan/documents/3056_keikansyouichiran.pdf
平成12年以降はないね。




◆亀戸銭座跡



この付近に幕府の鋳銭所がおかれ亀戸銭座と称し寛文八年から明治六年まで各種の寛永通宝銭を鋳造しその銭の表には寛永通宝うらには文の字のあるものや二十一本または十一本の浪模様のあるものなどがある。




日清紡績創業の地



 日清紡績株式会社は明治40年1月 創立後、東京府南葛飾郡亀戸町の当敷地2万余坪に、最新鋭設備を誇 る本社工場を建設した。
 最盛期には、紡機107,800錘, 織機360台を擁した本工場は、昭和16年軍の要請により陸軍被服本廠が使用するに至るまで、45年に亘り主力工場として綿糸布を生産し、広く内外の需要に応えると共に、幾多の人材を輩出した。
 この間明治43年大正6年昭和13年の三たび横十間川の洪水で浸水し、大正12年には関東大震災に逢ったが、従業員の献身的努力によりこの職場を守り得た。
 昭和20年大戦下の空襲により焼土と化したが、運動場として整備し主として勤労青少年の体育に寄与してきた。偶々昭和42年東京都浄水場日本住宅公団用地として提供するに至り、当社の手を離れた。
 今般この地に記念碑を建立し会社創業関係者の遺徳と、生死苦楽を共 にした多数従業員各位の功績を偲ぶものである。



◆亀戸給水所



災害時給水ステーションとのこと。
普段は浄水場かな?




◆天神橋





亀戸天神社石碑

天神橋のすぐ近くにあった。


題字 侯爵前田利為閣下
とあり、調べてみたら、旧加賀藩主前田本家第16代当主とのこと。
wikiで調べたらもっとたくさん情報が出てきた。
文化財ウィークに行ったことがある「旧前田家本邸」はこの方が建てたものとのこと。
残念ながら「はてな」以前に行ったところなので、日記がなかった。




続く。

2018/03/06 亀戸散歩 03 亀戸天神/光明寺/祐天堂/境橋/梅屋敷跡/大沢梅次郎銅像

横十間川から離れて東に向かう。
亀戸天神は今まで何度か来ているが、梅の季節は初めてだなあ。



亀戸天神






今回は「梅」が目当てなので、梅の写真ばっかりで(w
他の写真はアルバムに入っている。




光明寺


二世 歌川豊国の墓

碑文を狭い隙間から撮るしかなくて、字が判別できるものが撮影できなかった(汗
浮世絵師とのこと。



◆祐天堂



昭和四十一年に設けられた当時の説明板等に拠りますと、
その由来は、元禄年間に祐天上人が千葉方面に往来の途中、
この付近の川の中や川岸に多くの水死者のあるのを見て、非常に心を痛め、その霊を懇に回向されました。
その際に、これらの仏に戒名を与え
祐天上人、自らが筆を取って石にその戒名を記された供養塔をここに残されました。
後年、この供養塔を奉った祠が、この祐天堂であります。
それ以来、この付近では水死者もなく、またこの付近の子供たちが水辺で遊んでいても溺れたためしが無かったと言い伝えられ、
この付近に住む人々によって、水難除、安産、子供の守護の祠として崇め奉られ今日に至ります。(近年では、この祠に、交通安全祈願をなさる方も多いと聞きます。)
また、毎年七月二十四日を由縁の日と定め、祐天上人の遺徳を仰ぎ、精霊の供養を営む日と定められてまいちました。




左下にあるのは道標とのこと。

高さ七十一センチのこの道標は、ここ境橋から、木下川薬師堂(葛飾区東四ツ木一丁目)へ至る木下川薬師道(現在の仲居堀通り)を示すものです。
刻銘は、
正面に  木下川やくしみち
右側面に、本石町寳暦十一年辛巳猛春
左側面に、あつまもり
あつまもりとは、吾妻権現社のことで境橋を渡った右手、北十間川沿いにありました。本石町は日本橋の町名で、この道標の建てられた寳暦十一年(一七六一)頃には、きっと江戸町人の参詣が盛んだったことがうかがえます。





◆境橋

北十間川に架かる橋。










◆梅屋敷跡



 梅屋敷は、江戸時代から続く梅の名所でした。もとは本所埋堀(墨田区)の商人、伊勢屋彦右衛門の別荘で清香庵としていましたが、庭内に梅が多く植えられていたところから「梅屋敷」と呼ばれるようになりました。なかでも「臥龍梅」と名付けられた一株が有名で、これはまるで龍が大地に横たわっているように見えるところから、水戸光圀命名したと伝えられています。また、八代将軍徳川吉宗も鷹狩の帰りにこの地を訪れました。江戸近郊の行楽地として、花の季節にはたくさんの人々でにぎわい、その様子は『江戸名所図会』『絵本江戸土産』(歌川広重)などの地誌にもとりあげられています。歌川広重はこの梅屋敷だけで十数種の版画を描き、とくに「名所江戸百景」の中の、太い梅の古木を手前にあしらった錦絵は傑作のひとつにあげられます。明治四三年(1910)、大雨により隅田川沿岸はほとんど水に浸り、亀戸・大島・砂村のほぼ全域が浸水しました。この洪水により、梅屋敷のすべての梅樹が枯れ、廃園となりました。
 ここに残る石標柱は、江東区創立10周年を記念して、昭和三三年(1958)に建てられたものです。




◆大沢梅次郎銅像

明治22年、この地の旧家小山家に生まれた政治家とのこと。




続く。

2018/03/06 亀戸散歩 04 福神橋/吾嬬神社/あずま児童遊園/小村井香取神社/小村井駅/亀戸駅

先程のエリアから北東に位置する東武亀戸線の「小村井(おむらい)」という駅に向かう。
最初読めなかったなあ。
以前「花王東京工場」見学に来たことがある。
日記が残っていたが、かなり前だね〜。


2012/04/26
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20120426/1338593143



福神橋

北十間川に架かる橋。







◆吾嬬神社





福神稲荷大明神




鳥居




◆あずま児童遊園

吾嬬神社のすぐ隣にある。
吾嬬=あずま なんだね。





◆小村井香取神社




諏訪神社



手水鉢

墨田区登録文化財とのこと。




香梅園






鳥居




東武亀戸線小村井駅




亀戸駅




今回は前日の仮眠中に2度もたたき起こされて、眠くてしょうがない旅になってしまった。
梅の花を見てかなり元気になったが、いつもの半分しか散歩できなかった。
亀戸水神のエリアなどが散歩できなかったのでまたこの近辺に出没すると思う。