2018/03/18 四谷散歩 02 津の守坂/津の守坂児童遊園/中央大学/合羽坂/曙橋/一心らーめん

近くを何度も通っているのに見逃しまくっていたんだね(汗
坂が沢山ある。



◆津の守坂



荒木町と三栄町の境を靖国通り手前までくだる坂である。別名を小栗坂ともいう。昔坂上の西脇に松平摂津の守の屋敷があったのでその名を略して津の守坂と称した。




この津の守坂を含めて津の守坂通りと名づけられているようだ。




◆津の守坂児童遊園




中央大学




合羽坂








 新撰東京名所図会によれば「合羽坂は、四谷区市谷片町の前より本村町に沿うて、仲之町に上る坂路をいう。昔此坂の東南に蓮池と称する大池あり。雨夜など獺(かわうそ)しばしば出たりしを、里人誤りて河童(かっぱ)と思いしより坂の呼名と・・・転じて合羽の文字を用い云々」、何れにしても、昔この辺りは湿地帯であったことを意味し、この坂名がつけられたものと思われる。






◆曙橋







◆一心らーめん

ドラゴンかとおもったらエリマキトカゲなんだね・・・・。






続く。

2018/03/18 四谷散歩 03 新坂/津の守弁財天/荒木公園/ナツメの木/美濃国高須藩主松平摂津守家上屋敷跡

この日記の場所も以前訪れている場所である。
津の守弁財天は早咲きの桜が満開で、2度目に来たかいがあった♪



◆新坂




 全勝寺から靖国通り手前まで下る坂道で、明治30年代広汎の道路新装によりできた坂道である。江戸時代には、甲州街道から全勝寺まで杉の木が連なる「杉大門」通りが延び、新坂ができて靖国通りまで通じることになった。「今は杉樹は伐採し、其の路は新道に通じて、直ちに市谷に達せり」という光景であった(「新撰東京名所図会」)。




◆津の守弁財天

桜がものすごく綺麗だった。
こちらは一度お参りに来ている。
2016/11/12
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20161112/1479018525





高遠小彼岸桜

 信州高遠城址公園に樹林をなす高遠固有の桜で、小ぶりで赤みを帯びた可憐な花が一斉に咲き誇る姿はまさに「天下第一の桜」と称されています。






◆荒木公園

この公園内に「ナツメの木」と「美濃国高須藩主松平摂津守家上屋敷跡」の説明板があった。



◆ナツメの木(荒木公園内)

「この木は、1905年(明治三十八年)一月五日に、日露戦争で旅順攻略の任にあった乃木希典日本陸軍第三司令官と露西亜ステッセル軍司令官が旅順開城規約締結の会見を行った水師営(現在の大連市水師営鎮小南村)の民家にあったナツメの木の二世として、地元に古くから語り継がれている木である。
 このナツメの木は、かつて市ヶ谷にあった大日本帝国軍の士官が、会見が行われた水師営の民家を訪れた際に、記念の証としてナツメの苗木を日本に持ち帰り、士官たちがよく通った荒木町の料亭の庭先に植えられた。その後、成長したこのナツメの木は、関東大震災の難にも逃れ、東京大空襲では痛手を被ったが、奇跡的に芽を噴出し蘇ったと伝えられている。平成十二年には、マンション建設のため、一時は、抜粋の危機にも見舞われたが、地元の熱意により、この木は、無事に荒木公園内に移植され、老木にも係わらず、毎年可憐な実を実らせ、来園者に親しまれている。
 水師営のナツメの木は、『昨日の敵は、今日の友』で有名な小学唱歌水師営の会見』の歌詞の一節に『庭に一本棗(ひともとなつめ)の木…』と謳われている。作詞をした歌人であり国文学者であった佐佐木信綱は、作詞にあたって、正確を期すため、乃木大将から当時の会見模様を面接伺った折に、会見場所の庭の木について尋ねたところ、『そう言えばナツメの木が一本あったのう』と答えられたと、後年筆者で記している。
 日露戦争をはじめ、荒木町の歴史遺産として、この名木の由来を、後世に語り次ぐ。




美濃国高須藩主松平摂津守家上屋敷跡(荒木公園内)

江戸時代、荒木町一帯には、美濃国高須藩主(現在の岐阜県海津市付近を領地とした藩)松平摂津守(近くの津の守坂はこれに因む)の上屋敷がありました。
屋敷内には滝を伴った大池があり、回遊式庭園となっていましたが、この池は徳川家康が鷹狩りの帰りに策を洗ったという伝承があり『策の池』と呼ばれます。池は、明治時代には一般に開放され、景勝地、花街として賑わいました。『策の池』は現在もその一部が残っており、『カッパ池』と『津の守弁財天』として親しまれています。なお、荒木町の『車力門通り』は、上屋敷甲州街道口にあった『車力門』に因むものです。
幕末期、藩主松平義建の子としてこの屋敷に生まれた兄弟のうち、二男義勝は尾張徳川家、五男茂徳(後の茂栄)は御三卿一橋家、七男容保は会津松平家、八男定敬は桑名松平家を継承しました。兄弟は幕府方と新政府方に分かれ、立場を異にしましたが、『高須四兄弟』と呼ばれ、激動の時代を生き抜きました。





続く。

2018/03/18 四谷散歩 04 車力門通り/金丸稲荷神社/円通寺坂/祥山寺/円通寺/法蔵寺

先程のエリアまでは西へ進んでいたが、今度は南へ進む。
やはりところどころ前と同じところを歩いている。



車力門通り




江戸時代、荒木町が松平摂津守の屋敷だった頃、「車力門横丁」と呼ばれ、物資が屋敷へ荷車で持ち込まれていた。




◆金丸稲荷神社

こちらも以前お参りしたことがある。
前回同様油あげがお供えされていた。
あとなぜかウィルキンソン(炭酸)まであった!?

2016/11/12
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20161112/1479018525




円通寺



新宿通りから、四谷二丁目と三丁目の境界を南に円通寺に下る坂。坂名は、この円通寺に因むものである。



◆祥山寺



円通寺



◆法蔵寺



続く。

2018/03/18 四谷散歩 05 女夫坂/東福院坂/須賀神社/妙行寺/西應寺/戒行寺(長谷川平蔵供養碑)/長安寺

前のエリアからまた西へ進んでいく。
ここももう何回も通った道だ(w




◆女夫坂

特に説明板などは無かった。
WEBで調べてみると、
「下り坂と上り坂が連続しているため女夫坂または夫婦坂と呼ばれる。」
とのことだった。




◆東福院坂



坂の途中にある阿祥山東福院に因んでこう呼ばれた。別名の天王坂は、明治以前の須賀神社牛頭天王社と称していたため、この辺りが天王横町と呼ばれていたことによる。


須賀神社

3度目の訪問。



またこの場所を撮ってしまう。
相変わらず人が沢山居る。



2018/01/13
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20180113/1515925669

2016/11/10
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20161110/1478939725



妙行寺



◆西應寺




桜が綺麗だった。


2018/01/13
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20180113/1515925669


2016/07/26
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20160726/1469622695




◆戒行寺



長谷川平蔵供養碑




 池波正太郎の原作と中村吉右衛門のテレビ時代劇で広く世に知られる「鬼平犯科帳」の火付盗賊改の鬼平こと長谷川平蔵は延享三年(1746)江戸赤坂築地中之町(現港区赤坂6-12)の拝領屋敷で生まれた。姓は藤原、名は宣以。称は初め銕三郎、後に平蔵といった。寛延三年(1750)鉄砲洲築地湊町に転じ、明和元年(1764)本所三ツ目通り菊川安置に移った。父宣雄が火付盗賊改のとき、目黒行人坂の放火犯を捕らえて、京都西町奉行に栄進したが、わずか10ヶ月で急逝した。その後、宣以が家督を継ぎ、西城御書院番や御徒頭を勤め、御先手弓頭から火付盗賊改を兼帯。さらに石川島人足寄場を開設した。軽犯者や無宿者を収容して手業を習得させ、工賃の一部を積み立てて、出所時の更生資金に充て、授産所として成功させた功績は大である。
 寛政七年、50歳で病没、当山に葬られた。
 尚、当山には、鬼平の父宣雄ら5人の火付盗賊改が葬られている。
安部式部信旨   享保九年二月廿四日(1724・3・19)年
桑島肥後守政恒  宝暦七年十一月十日(1757・12・20)年
山岡豊前守景之  明和三年二月四日  (1766・3・14)年
長谷川備中守宣雄 安永二年六月廿日  (1773・8・14)年
菅沼主膳正虎常  寛政元年四月十六日 (1789・5・10)年





長安

中では法事中だった。


火防地蔵があるとのことだったが、どれだかわからなかった。

これは違う?





続く。

2018/03/18 四谷散歩 06 出羽坂児童遊園/出羽坂/中央線鮫ケ橋通ガード/せきどめ神/みなみもと町公園/四谷見附公園

信濃町駅の近くまで行き東へ向かう。
こちらも一度通った道である。
出羽坂を下ったところから、通ったことのないガードをくぐり、
また一度通ったことがある鮫河橋坂を通って四ツ谷駅へ向かう。



◆出羽坂児童遊園



◆出羽坂

こちらは一度日記に書いている。
2018/01/13
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20180113/1515925897



◆中央線鮫ケ橋通ガード



◆せきどめ神

みなみもと町公園すぐ脇にあった。
前回見逃してしまった場所である。





◆みなみもと町公園




こちらも前に一度日記に書いている。
2018/03/14
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20180314/1521119680



◆四谷見附公園

こちらも前に一度日記に書いている。
2018/03/14
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20180314/1521119680


四ツ谷駅でゴール。
そんなに歩いていないので、スポットの数も少ないかなあと思っていたんだけど
結構あった。

2018/03/18 四谷散歩 01 市ヶ谷駅/防衛省/比丘尼坂/坂町坂/箕稲荷神社/桝箕児童遊園

24時間勤務アケで、四谷散歩。
何回目の四谷散歩だろう?(w



◆JR市ヶ谷駅

スタートの市ヶ谷駅



防衛省

こちらは一度中を見学させてもらった。
2013/02/21
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20130221/1377699381



比丘尼




 『御府内備考』によると、昔この坂の近くの尾張家の別邸に剃髪した老女がいたことからこう呼ばれたという。




◆坂町坂




 坂名は「坂町」という町名にちなんで、呼ばれていたようである。『御府内備考』では、坂の名称はつけられていないものの、100mを超す長さがあることが記されている。




◆桝箕(ますみの)稲荷神社

読み方がわからなくて調べちゃった。









◆桝箕児童遊園




続く。