八王子夢美術館でやっている「オネアミスの翼」展へ行ってきた。
公開は1987年。
30年以上前の作品なのに、映像はものすごく綺麗だし、全然色が褪せてない。
もう20回以上は繰り返し見た作品。
「オネアミスの翼」展
大徳寺真珠庵の襖絵
こちらは次回作「蒼きウル」の世界観を体現するワンカットとのこと。
大徳寺真珠庵は京都にある一休さんゆかりの寺。
またこの映画が観たくなった。
今度は建物や道具も細かく観てみよう。
またあと20回くらい観そうだ(w
郷土資料館の後は、北へ進む。
線路(中央線)も超えて国道20号(甲州街道)も超える。
◆信松院(しんしょういん)
信松院の文化財
「松姫」は武田信玄の娘で武田氏滅亡後、八王子へ逃れこの地で没しました。江戸時代初め、「松姫」は武田家遣臣の多かった八王子千人同心の精神的な支えでもありました。
そのため、信松院には「松姫」ゆかりの品が残り、文化財にも指令されています。
◎木製軍船ひな形
小早川隆景の軍が使用した軍船の模型と伝えられ、町姫の兄、仁科盛信の子孫である仁科資真から寄進されたもので、当時の船を知る貴重なものです。
正徳四年(1714)の仁科資真寄進目録も併せて伝えられています。
◎木造松姫坐像
寄木造、玉眼。彩色されており、剃髪し法衣に袈裟をつけた尼僧の姿で、松姫百回忌に当たる正徳五年(1715)頃の作成と考えられています。
◎松姫尼公墓
松姫はこの地で没し、信松院の開基となりました。
延享五年(1748)に八王子千人同心により墓を囲む玉垣が寄進されました。
大久保石見守長安陣屋跡
大久保長安は幕府の代官頭として八王子宿建設にあたり、街並みの南側に陣屋を置きました。
長安は千人同心の組織化や、千人町の成立にも尽力しました。
◆松の湯
14時からオープンらしい。
開店待ちの人だかりができていた。
続く。
この日記のエリアでは八王子駅に向かってどんどん東へすすむ。
八王子夢美術館は、次の日記で別で書く。
◆八王子宿
google mapに載っていたので来てみた。
現地には説明板などは見当たらなかった。
◆八日市宿跡
八王子市中町出身の医師、肥沼信次博士は、第二次世界大戦直後旧東ドイツのヴリーツェン市で、当時市の病で合った発疹チフスの治療にあたり多くの尊い命を救いました。半年にわたる献身的な治療活動の果て、自らもこの病に感染し、三十七歳で亡くなりました。
こうした功績から博士はヴリーツェン市の名誉市民として、今もなお多くの市民から敬愛されています。
「誰かのために生きてこそ、人生に価値がある」
これは、肥沼信次博士が尊敬していたドイツの物理学者、アインシュタインのことばです。
◆八王子駅
八王子駅周辺は区画が整理されており、坂もなかったのですごい散歩しやすい!
道に迷うこともなかった。
千人同心など歴史も深く大変良かった!
次は昔遊郭があった辺りなどを中心に散策してみようと思う。
24時間勤務アケで、八王子を散歩。
八王子駅の西側エリアを散策する。
◆八王子駅
久しぶりの八王子。
昔の彼女さんも八王子出身だったし、
仕事で何度も来たこともあるし、
ここに来るとイロイロ思い出す(w
カメラの充電がゼロで起動せず・・・・。
充電しながら移動。
とりあえずスマホで・・・。
原胤敦(はらたねあつ)墓
胤敦は通称を平左衛門といい、寛永元年(1748)八王子千人同心の千人頭の家に生まれた。安永五年(1776)その家督を継ぎ、寛政一二年(1800)に千人同心の子弟100人を率いて蝦夷地(北海道)にわたり、その地の開拓に従事した。
文化元年(1804)に箱館(函館)奉行の支配調役に任ぜられたが、文化五年(1808)に帰国、文化一一年(1814)幕府の命によって「新編武蔵国風土記稿」の編纂事業に、塩野適斎、上田孟縉(うえだもうしん)らとともに従事した。
文政一〇年(1827)二月九日、80歳で病没した。
「勇香院殿入道了渚日輔居士」と称する。
上田孟縉(うえだもうしん)
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20171211/1513278653
南大沢の長池を散策した際に、八王子千人同心組頭上田孟縉は「武蔵名勝図絵」をまとめた。とあった。
ブログやHPによっては上田が植田になっている。
塩野適斎(しおのてきさい)
「新編武蔵国風土記稿」の編纂に従事、著書に「桑都日記」がある。
武蔵小金井のたてもの園に、旧居が移築されている。
並木伊寧(なみきいねい)の墓
伊寧は、千人同心組頭で虎見良蔵といいました。医業を行うかたわら、元八王子に「養老畑」を設置し庶民の救済費にあてた人物です。書道の弟子も多く、墓石には門弟500名あまりと刻まれています。
続く。
中央線沿いに西へ移動。
八王子って坂がなく散歩しやすいね!
◆天満神社
◆時宗念佛院
一見住居っぽい・・・・。
この鐘は、元禄十二年(1699年)七月、八目市名主新野与五右衛門を大旦那として、千人頭、千人同心、宿内15組をはじめ近郷村々の協力により鋳造されたものである。鐘の大きさは丈1m48cm、鐘銘に「武州多西郡八王子町時之鐘」と八王子町の名が刻まれており、270余年の間八王子15宿の人々に時を告げ、したしまれてきている。
「時のかぞえ方』
九つ 午前12時(子) 午後12時(午)
八つ 午前 2時(丑) 午後 2時(未)
七つ 午前 4時(寅) 午後 4時(申)
六つ 午前 6時(卯) 午後 6時(酉)
五つ 午前 8時(辰) 午後 8時(戌)
四つ 午前10時(巳) 午後10時(亥)
元禄12年(1699)、町の人々に時を知らせようと、八日市宿の名主新野与五右衛門が発願し、千人頭、同心、八王子十五宿の人々の協力で建立されました。
続く。
八王子の郷土系の博物館は始めてだなあ。
一応駅からは徒歩圏内だと思うけど、ちょっと遠いね。
中は一見ごちゃごちゃした感じに見えたけど、時代ごとに丁寧に展示がしてあって見やすかった!
展示量・情報量も適度で子供にはやや難しいかもしれないが大人にはちょうとよいと思う。
展示の仕方は他の郷土系博物館と同じように、その地区で発掘された遺物などを資料を交えて展示する形。
たまに、ある特定の年代だけがたくさんあったりするが、こちらはそんなことはなかくてよかった。
展示図録を買ったので、後でじっくり読むことにする。
入館料は無料で、図録も安くて満足♪
八王子市郷土資料館のHPはコチラ↓
https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/005/p005312.html
場所は八王子駅から徒歩15分。
休館日は月曜日(祝日の場合は開館)・祝日の翌日・年末年始。とのことですが、行かれる方は事前にHPなどでチェックしてから行ってくださいネ!
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2023/10/24 追記
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こちらの記事を見ると2021/03/31で閉館とあった。
https://hachioji.keizai.biz/headline/3183/