2014/11/08 part2 群馬の社会科見学「自販機ミュージアム」

次は自販機ミュージアム!!


サンデン株式会社の中にある「自販機ミュージアム」へ行ってきた。
なかはもちろん自販機だらけだった(w




世界で最初の自販機!!
聖水を売ってたんだそうである。


詳しい説明



他にも年代物の自販機がいっぱい。



懐かしいですね(w



今の自販機は電気をなるべく食わないよう、イロイロ工夫されているのだとか。
停電時にもハンドルを回して電気を起こし、動く自販機もあった。
身近にあるのによく知ってるようで何も知らないもんですなあ・・・・。




次は群馬の迎賓館「臨江閣」へ






自販機ミュージアムの前に・・・・・
古民家カフェでお食事。


とても美味しかった!!



カフェの近くに萩原朔太郎 の生家跡があった。



 萩原朔太郎1886年(明治一九)十一月一日「萩原医院」 の長男としてこの地に生誕した。往時の「萩原朔太郎生家の 配置図は左のとおりである。1919年(大正八)父密蔵が老齢のため、津久井惣次郎夫妻が引き継き以後「津久井医院」となった。津久井惣次郎の妻幸子は萩原朔太郎実妹である。
 「病棟部分」は1960年(昭和三五)に撤去されたが「母屋」 をはじめ主要建物は1968年(昭和四三)十二月まで存在した。その後前橋市は建物の解体を憂慮し、所有者及び萩原朔太郎研究会の協力によって、「離れの座敷」「書斎」「土蔵」の 三棟を一ケ所に集め永久にこれを保存することとした。現 敷島公園ばら園内にある「萩原朔太郎記念館」はここから移築復原されたものである。
 また旧萩原家の門柱は萩原朔太郎研究会が所有者から譲り受け、一本は広瀬川畔に建立した「広瀬川詩碑」の碑面を支える柱に使用し、残る一本を「萩原朔太郎生家跡」碑として1971年(昭和四六)この地に建立した。 碑の左側面にあるように詩人伊藤信吉の書によるものである。
 日本近代詩史に不滅の足跡を 残し、口語自由詩を確立した詩人萩原朔太郎への深い思いを辿り、「近代詩のふるさと前橋」の 発祥の地として、ありし日の詩 人の面影を偲びここに記す。