錦糸町・両国散歩、続きます。
表具をWEBで調べてみました。
『中国・唐の時代に生まれたといわれる表具が、遣唐使などの手により日本にもたらされて千年余り、生活用式や建築様式の移り変わりとともに、室町から桃山、江戸時代にかけての茶道の隆盛とも深く関わりながら磨かれ、わが国独特のものとなってきました。』
と説明がありました。
◆茶店笹や
鬼平犯科帳に出てくる架空のお店かな?
『折箱(おりばこ)とは、厚経木を折り曲げて作られた木箱である。従来、経木を加工し蓋を付けた比較的底の浅い木箱のことを折箱と呼んだが、現在では木製品だけでなく紙製や発泡スチロール製、プラスチック製の箱製品の総称として使用されている。』
と、ありました。
菓子折りや寿司折りなどの言葉は、こちらからきてるみたいですね。
万治二年(1659)、堅川が開削されると五つの橋が架けられ、隅田川に近いほうから一之橋から五之橋と名付けられました。その二つ目の橋・・・・。
と書かれてました。
ということはこの説明板も五つあるのかな?
◆軍鶏鍋や「五鉄」
鬼平犯科帳に出てくるこのお店はさきほどの二之橋の近くにあると推定されるとのこと。
続きます。