2017/05/30 竹橋・市ヶ谷散歩 02 半蔵門/永井坂/一番町/南法眼坂/行人坂/東郷坂/東郷元帥記念公園/三番町/帯坂

半蔵門から市ヶ谷まで歩きます。
坂だらけで疲れた体にこたえます。
コース設定を間違えました(汗



半蔵門

ここは通ったらいけない門ですね。
お巡りさんが封鎖してます。



◆永井坂




名称のおこりは旗本屋敷の名によるとされています。
とあり、このあとに、
永井勘九郎・永井奥之助という旗本が道を挟んで、ちょうどむかいあっているかのようにみえます。
と、ありました。




◆一番町

江戸城に入った徳川家康は、白の西側のあっもりを固めるために、この一帯に大番組に属する旗本たちを住まわせました。ここから「番町」という地名が生まれ、この界隈には多くの武家屋敷がありました。
とあります。
なんか思い切り修正した後がある説明板ですね(w




◆南法眼坂




この坂の北に法眼坂があるためにその名がつけられたのでしょう。
と、あります。
北に行って法眼坂を見なければ坂の由来がわからない?(w


法眼の名は、「紫の一本」に、斎藤法眼という人の屋敷、”この坂のきわにあり”とかかれています。
法眼とは僧の階級の一つであり、また江戸時代、医師、絵師、連歌師などに授けた称号のことです。
と、書かれてましたので、法眼坂は斎藤法眼という人の屋敷があったということでしょうね。




◆行人坂



「古某法印と称する行人がこのあたりに居するゆえにこの名あり。」
と、ありますね。




◆東郷坂





東郷元帥邸の西側に当たるこの坂は、明治三十八年(1905)十月、当時の麹町区会の議決により命名されたといいます。
と、ありました。
この坂をのぼって右手に東郷元帥記念公園があり、そこが邸宅であったことの説明板がありました。




◆東郷元帥記念公園




関東大震災の復興計画で造った公園で、隣には東郷元帥邸があったということです。
東郷邸のあった土地も寄付して今の公園になった地うことですね。










◆三番町

塙保己一がこの地に和学講談所開いたり、永井荷風や、国木田独歩などなどの文学者も居住していたことなど書かれてます。



◆帯坂




番町皿屋敷の旗本、青山播磨の腰元お菊が、髪をふり乱し帯をひきずってにげた伝説に寄ります。
と、書いてあります。
伝説とはいえおそろしい・・・・・。


市ヶ谷駅でゴールです。
結構歩きましたね。
散歩するには暑い季節になってきました。