2017/09/26 飯田橋散歩 04 新川橋/東京座跡/あいあい橋/歴史のプロムナード/甲武鉄道飯田橋駅/國學院大學開校の地

また白山通りに戻ってきた。
お昼が近くなってきたので、サラリーマンの姿が目立つようになる。



新川橋





◆東京座跡



 東京座は明治33年(1900)3月この地で開場しました。その舞台開きには当時の名優九世市川団十郎が出演し、以後の興行からは主として猿之助を初め市川門下の若手俳優が出演しました。
 明治30年代後半には市川左団治・芝翫猿之助などを中心として一本は新作ものを上演するのを特徴とし、演劇界に新風を吹き込む役割をにないました。
 建坪は335坪、客席定員2千名で東京有数の大劇場でした。
 なお、三崎町一帯は三崎座(現三崎町2丁目11番)・川上座(現三崎町2丁目15番)などがあって、三崎三座と称され、東京の演劇界の一つの中心として賑わいました。



◆あいあい橋

人しか渡れない橋だった。
この橋がなければだいぶ遠回りしないといけない。





◆歴史のプロムナード

昔々、縄文時代の頃、このあたりは波の打ち寄せる入江でした。その後、海は後退して、葦の生い茂る広い湿地となりました。徳川家康が江戸に来て大規模な築城工事が行われ、このあたりは湿地から旗本屋敷にかわりました。九段坂、中坂を中心とした元飯田町は、町人の町として 賑わいましたが、明治になって旗本屋敷の後は住む人もなくなり、一時は大変さびれました。しかし、次第に賑わいを取り戻し、現在のようなビル街に変わりました。この飯田橋散歩路に標柱を建て、この町の移りかわりを示します。




甲武鉄道飯田橋駅

明治二十二年(1889)、新宿ー八王子間に甲武鉄道が開業し、同二十八年(1895)には市街線として延長され、飯田町駅が開業し現在の中央線の始発駅となりました。同三十三年(1904)我が国で初めて飯田町ー中野間で電車が運転され、円板型自動信号機が設置されました。その後甲武鉄道御茶ノ水方面に延長されました。
 同三十九年(1906)、甲武鉄道は国有化され、昭和八年(1933)に飯田町駅は貨物専用駅となりました。この奥のホテルエドモントが旧駅構内で、改札口は小石川側にありました。




國學院大學開校の地

 明治十五年(1882)この地、 旧飯田町5丁目に 国学を研究する皇典講究所が設けられました。明治二十三年(1890)、皇典講究所を母体として、所長山田顕義によって國學院が開校しました。現在の國學院大學です。
 大正十二年(1923)渋谷に移りました。



散歩はまだまだまだまだ続く。