2017/10/05 外濠散歩 04 高浜虚子 句碑/外堀公園/新見附橋/市ヶ谷御門橋台の石垣石

ちょっと離れたけどまた外濠へ。
高浜虚子の句碑は靖国の裏通り側、法政大学の近くにあった。
やはり警官がいっぱいいた・・・。




高浜虚子 句碑




   「蔓もどき情はもつれやすき哉  虚子」
 この句は高浜虚子の作品で、1947年に詠まれ、1948年10月の「ホトトギス」に掲載されました。その後、1958年12月に、虚子の集大成である「虚子百句」が出版され、これを機会に、終生の友情の証しとして、三輪田元道校長にこの句が贈られ、1959年6月に、校内に、句碑が建設されました。現在の句碑の位置は、1901年9月から1909年12月にかけての虚子の住居、及び、「ホトトギス」の発行所(麹町区富士見町4丁目8番地)の筋向かいに当たります。高濱家と三輪田家が、松山市が縁で、筋向かいに住み、親しく付き合っていたことから、校舎改築を機会に、この場所に句碑を移設しました。
 虚子は1910年12月から鎌倉市に転居しましたが、三輪田眞佐子(当時の校長)と養子の元道も鎌倉市に別宅を持っており、親しい付き合いが、そこでも続いていました。
 また、虚子の長女の眞佐子は、本校高等女学校を1915年に卒業しました。





◆外濠公園









 江戸城周辺には、川や谷、大地などの自然地形をたくみに利用し、きずかれた、内堀・外堀・見付と呼ばれる城門・土手など、市中を外敵から守る施設があった。昭和31年、江戸の面影を残す地域として、赤坂・飯田橋までの外堀を国の史跡に指定し、文化遺産として、後世に受けつぐ事となった。






◆新見附橋







◆市ヶ谷御門橋台の石垣石




 この石垣石は、江戸城 外堀跡の市ヶ谷御門橋台に築かれていた石垣の一部です。市ヶ谷御門の枡形は現存しておりませんが、橋台の石垣は、現存もその一部が外堀通りの下に保存されています。この石垣石に刻まれている刻印は、江戸時代初期に御手伝普請で石垣を築いた大名家や職人の印と考えられています。
 寛永一三年(1636)に開削工事が行われた赤坂から四谷・市ヶ谷・牛込橋にいたる堀割や土手の遺構、同十六年(1639)に修築された外郭門の石垣などが、昭和三一年「江戸城外堀跡」として国の史跡に指定されました。
 なお、平成七年三月に営団地下鉄南北線市ヶ谷駅 構内に開設された「江戸歴史散歩コーナー」では、平成元年から八年にわたって発掘調査された江戸城外堀跡関連遺構の発掘成果の一部を展示公開しております。




市ヶ谷駅でゴール。
今回の散歩は3時間もかからなかった。
体力的にはまだまだ歩けたんだが、やはりこの辺りは情報量が多かった。