ここからは健康ウォークでゴールした後に巡ったところ。
東日本大震災が平成二十三年三月十一日(2011)に発生しました。
この震災で多くの皆さんが被害を受けて故郷を離れて、避難生活をされています。
板橋区内にも、避難生活をされていらっしゃる皆さんが、おおぜいいらっしゃいます。
避難生活をおくっていられる皆さんが、一日でも早く、故郷にもどられ幸福な生活をおくれますように、御祈願もうしあげます。
あわせて、子供さんはじめ、皆さん、世界中の人々が、平和で幸福に暮らせますよう心をこめて制作しました。
皆様のおもいが、かないますよう、手を合わせてお参りください、
小豆沢神社とスダジイ
当社は、康平年間(1058〜1065)、源義家の勧講と伝えられます。江戸時代には、十二天社と呼ばれ、小豆沢村の鎮守でした。
小豆沢の地名の由来については、
一、平将門の時代、神社の大地下の入江’荒川の昔の河道)に停泊中の船が嵐に遭い、小豆を積んだ袋を流失した。
二、上流から漂着した米を腐らないうちにと食べたことを、裁判で評価され、祝いの小豆飯を炊いた。
という二つの故事が残ります。現在では、後者の故事に因み、毎年六月一五日に餅つき祭りが執り行わていれます。
明治二年(1869)、社号を小豆沢神社に改め現在に至っています。
二の鳥居脇のスダジイは、当社の御神木です。南の道路側部屋や傾斜し、幹の内部が空洞化していますが、樹勢は良好です。天然記念物として、平成六年度、区の記念物に登録されました。
◆小豆沢(あずさわ)貝塚
小豆沢貝塚は、明治十六年(1883)に当時大学生であった、白井光太郎と坪井正五郎が発見したという記録が残っています。これは日本の考古学の出発点であるE・S・モースの大森貝塚の発掘調査からわずか六年後のことで、明治期から大森貝塚(品川区)や、西ヶ原貝塚(北区)などとともに広く知られていました。
この貝塚は、縄文時代の後期から晩期に(今から約3700〜2500年前)、区立小豆沢体育館部分に存在する谷(入江)に面して形成されたもので、この案内板の建つ墓地周辺から、小豆沢神社の手前にかけて広がっています。
過去の調査では、縄文時代の土器や石器、およびハマグリ・ヤマトシジミなどの貝やマアジ・クロダイ・スズキ・コイ・フナ・イノシシ・シカなどの骨が多数出土しています。しかし、現在は住宅が建ち並び、遺物の散布が見られるのは、この場所だけになってしまいました。
このことから、この場所は昭和六十年度に板橋区の登録文化財となりました。
パッと見た感じ、衝突防止用の縁石か何かかと思ったけど、近づくと読めないけど字が刻まれた跡が・・・。
おそらく道標かと思われる。
詳しいことを知っている方がいらっしゃったら教えてください。
m(_ _"m)
散歩はココから駅まで戻って終了。
周りに面白そうなものがいっぱいありそうなので、また来たいと思った!