2018/11/07 千駄木散歩 01 西日暮里駅/蒼雲寺/よみせ通り/延命地蔵尊/不忍通り/すずらん通り/大給坂

24時間勤務アケで、西日暮里から東大前まで歩く。
何度か足を誇んだことがあるエリアだが、細かく調べるといっぱい見逃している場所があるんだね・・・・・。




西日暮里駅

スタートのJR山手線西日暮里駅
千代田線が使えるんだね~。
東京駅経由で来たんだが、お茶の水から千代田線に乗ればよかったかも(汗



◆蒼雲寺




 青雲寺は、臨済宗の寺院で浄居山と号する。宝暦年間(1751~64)、堀田相模守正亮の中興と伝える。江戸時代の中頃より「日ぐらしの里」と呼ばれ、庶民に親しまれてきたこの地は、四季折々の花を楽しむ人々で賑わった。そのため青雲寺は修性院・妙隆寺(現、身延山関東別院玉川寺)などとともに、花見寺ともいわれていた。
 現在谷中七福神のひとつ「恵比寿」が祀られている。境内には、滝沢馬琴の筆塚の碑(文化六年)をはじめ、硯塚の碑(寛政十年)、日暮里船繋松の碑、狂歌師安井甘露庵の碑など、江戸を代表する文人の碑が多く残っている。






滝沢馬琴筆塚

 江戸時代の戯作者、滝沢馬琴(1767 ~ 1848)は精力的な著作活動をし、多量の使い古しの筆を残した。これを供養するため、馬琴の生い立ち (1810)に、青雲寺境内の山 ( 現在の西日暮里公園付近 ) に築いたのが筆塚である。文化六年銘のこの碑には、建立の由来、馬琴の生い立ちや業績が記されている。額字の「瘞聿冢名 ( ふでをうずめしつかのめい )は、国学・漢学・考証学者で著名な狩谷棭斎 (えきさい ) 筆。由来は儒学者亀田鵬斎(ほうさい) が撰文し、筆をとった。日ぐらしの里における文化人の活動をうかがい知ることができる。明治時代に、旧加賀藩主・前田家が青雲寺境内を墓所として買い取った際に、移設された。明治三十九年(1906)には、前田家墓地から馬琴愛用の硯などが出土し、財団法人・前田育徳会尊經閣文庫に保管されている。







よみせ通り






延命地蔵

よみせ通り途中にいらっしゃった。


よみせ通り延命地蔵尊のいわれ

 此の所のお地蔵さまは、今から三百七十余年前長野県南佐久郡切原村の黄檗宗 の由緒ある、立派なお寺の偉いお坊さまが、大変慈しんで信仰されていたお地蔵菩薩さまで、昭和八年に地元のお年寄りで信仰の篤いお方が分霊をお迎えして、ここへ安置されたもので、大変不思議なお力を持って救って下さる効き目があると伝え聞き、遠近よりお徳を偲んで大勢のお参りの人々がお見えになっています。
 いつも家族が無事でいられる、子供や孫が丈夫に立派に育つ、勉強が良く出来て尊敬される人に成れる、旅行に出掛けても事故に合わない、難しい病気や悩みを全癒してくれる、いつまでも若々しく長生き出来て幸福でいられる、人々の祈願するもの、すべてお聞き叶えて下さり、あなたの災厄を払い除けてお守りして下さる、沢山ご利益が授かると感謝されて益々お参りの人々が増えて、お地蔵さまから大変尊い善いお力を授かり喜ばれて、いろいろとお礼の真心のこもった奉納をいただいております。
 お地蔵さまは、いつもあなたをお線香の煙の向こうから、やさしく、あたたかく見守り続けていらっしゃいます。
合掌



不忍通り




すずらん通り




ディープな感じのする通りだね。
この道に閉口した道が何本かこんな感じだった。
おいしそうなニオイが・・・・。




◆大給坂




google mapに載っていたので来てみたが、説明板などは見当たらなかった。
WEBで調べてみるとここには大給松平家の屋敷があったとのこと。
ただし、あまり信用できる情報源がなかったので、機会があったら調べてみたい。




続く。