2018/11/14 谷中散歩 05 福相寺/妙法寺/妙圓寺/長久寺/大円寺/三埼坂/福喜稲荷

相変わらず西に進む。
ちょっとしか進んでないのに寺で写真がいっぱいになった。
これでもいくらか巡ってないお寺がある・・・。



◆福相寺






妙法寺








◆妙圓寺








◆長久寺







大円寺



笠森お仙と鈴木春信の碑



 お仙は、笠森稲荷社前の茶屋「鍵屋」の看板娘で、江戸の三美人の一人。絵師鈴木春信はその姿を、当時全く新しい絵画様式である多色刷り版画「錦絵」に描いた。お仙に関係の深い笠森稲荷を合祀している大円寺に、大正八年、二つの碑が建てられた。「笠森阿仙の碑」は小説家永井荷風の撰、「錦絵開祖鈴木春信」碑は文学博士笹川臨風が撰し、題字は、東京美術学校(現、東京芸術大学美術学部)校長正木直彦の手になる。
 荷風の撰文は、漢字仮名交じりの文語調である。
  女ならでは夜の明けぬ、日の本の名物、五大州に知れ渡るもの、錦絵と吉原なり。笠森の茶屋かぎや阿仙、春信が錦絵に面影をとどめて、百五十有余年、嬌名今に高し。今年都門の粋人、春信が忌日を選びて、こゝに阿仙の碑を建つ。
 時恰大正己未夏 六月鰹のうまい頃
 五大州は日本のことで、大正己未は大正八年にあたる。






笠森おせん・鈴木春信の碑

童女の手毬唄にもうたわれた笠森おせんは、明和年間、錦絵の開祖といわれる鈴木春信の麗筆により、水茶屋の美しい茶汲女として江戸中に名を知られた。
おせんは春信の錦絵によって有名になり、春信はおせんによってその天分を発揮したといわれている。
春信碑の撰文は笹川臨風、おせんの碑は永井荷風がこれを記している。




◆三埼坂(さんさきざか)

google mapに載っていたので来てみたが、説明板は見当たらなかった。
ただ、街路灯に「さんさき坂」と書いてあった。

WEBで調べると説明板があったらしい。
『「三崎(さんさき)」という地名の由来には諸説あるが、駒込・田端・谷中の三つの高台にちなむといわれる。安永2年(1773)の『江戸志』によると、三崎坂の別名を「首ふり坂」といい、30年ほど以前、この坂の近所に首をを振る僧侶がいたことにちなむという。』
とある。



◆福喜稲荷神社





続く。