2018/11/20 北上台散歩 04 奈良橋八幡神社/御嶽神社/地蔵堂/蔵敷太子堂跡/蔵敷熊野神社

今回の散歩最北端エリア。
狭山緑地脇には神社がいっぱいあった。



◆奈良橋八幡神社





 当社は創立年暦不詳、太古より鎮守と公称しきて、何神と言うことはわからない。
宮がこわれようとする頃、いつの戦か、武士がにげて来て、此の森に露営しようと、四方を見ると、くらい中より宮のあるのがわかり、宮の中にねむると、その人に告げるに神の夢に「吾は八幡の神なり」当社によく宿ってくれた、宮が破損しようとしているので村人に建替ることを知らせて欲しいと言った。夢さめて翌朝地領に行き、其の理由を告げる。天正三年(1575)十一月、領主石川太郎右衛門氏の寄付により、社殿が再興され、其の後百十四年を経て、元禄二年(1689)九月旧領主石川太郎右衛門並岸隼人の尽力に依り拝殿が建てられ、其の後昭和七年に本殿幣殿拝殿が改築された。



東やまと20景

八幡神社
 神社明細帳には、創立年暦不詳、太古より鎮守と交渉し、天正3(1575)年に再興、とあります。
 狭山緑地東側の入り口の、森林の中にあり、昔ながらの面影を残しています。神社入口の階段わきにあった樹齢270年の杉の大木の根が、本殿の横に置かれています。
 近くに市史跡の八幡谷戸遺跡があり、その出土品は市重宝に指定されています。




大木の根






浅間神社





武内神社



神明社



御嶽神社



大六天社




境内社






八幡谷戸遺跡




 昭和五十三(1978)年度に実施した確認調査によって、この遺跡は、縄文時代中期の土器や石器とい(っ)た遺物、竪穴住居跡が良好に保存されていることがわかった。
 社殿裏側の山林は、遺物の分布状態が希薄であるが、集落の一部である可能性が強い。集落の中心は社殿の前方(南方)一帯であり、昭和六十(1985)年の道路拡幅工事に先立つ切通し斜面部の発掘調査では
竪穴住居跡や、土器・打製石斧など大量の遺物がみつかっている。



鳥居


鳥居



参道







御嶽神社










地蔵堂





◆蔵敷太子堂





 この地は、江戸時代に聖徳太子を信仰する太子堂がおかれた場所である。
 「新編武蔵風土記」によれば、江戸時代に旧多摩郡山口領(現東大和市武蔵村山市東村山市一帯・清瀬市小平市立川市・瑞穂町の一)にあった太子堂は、寺院に付属するものを除くと、蔵敷の一堂のみであった。
 また明治五(1872)年の学制発布に伴い、汎衆学舎(はんしゅがくしゃ)と呼ばれる蔵敷村の学校がおかれた場所でもあり、その後も村の青年団活動の拠点であった。





なんの石碑かわからなかった。




うちの田舎、出羽三山
見つけると嬉しくなる。





◆蔵敷熊野神社



境内社



力石





鳥居





続く。