漱石山房の後は南へ向かう。
このエリアのスポットはまっすぐ向かえる道がなくて遠回りさせられた。
◆草間彌生美術館
水玉の聖地ですね(w
外国人が沢山居て写真撮ってた。
中には入らなかった。
◆早稲田南町児童遊園
◆有島武郎(ありしまたけお)旧居跡
この地は、白樺派の中心的作家で大正時代の小説界に大きな足跡を残した有島武郎(1878~1923)が、最晩年の大正十一年(1922)三月から約一年間暮らした場所である。
武郎は、東京の小石川(現在の文京区)に生まれた。七人兄弟の長男で、武郎は洋画家の有島生馬(いくま)、四男は小説家の里見弴(とん)である。学習院中等科を経て札幌農学校(北海道大学の前身)を卒業、明治三十六年(1903)アメリカに渡り、ハーバード大学に留学。その後ヨーロッパ各地を遊学し、同四十年(1907)に帰国した。帰国後は東北帝国大学の英語講師を務めたが、弟の生馬の紹介で志賀直哉・武者小路実篤らと出会い、同人誌「白樺」に参加した。大正五年(1916)に妻と父を亡くすと、以降本格的な作家生活に入り、「カインの末裔」「生まれ出づる悩み」「或る女」などを発表した。
この地では、戯曲「ドモ又の死」を書いたほか、個人雑誌『泉』を刊行した。大正十二年(1923)六月九日、軽井沢の別荘「浄月荘」で『婦人公論』の記者であった波多野秋子と心中した。
続く。