2018/01/15 神楽坂散歩 06 林氏墓地/泉鏡花旧居跡/杉田玄白生誕の碑/地蔵坂/渡邊坂/北野神社/傳久寺

焼餅坂からそれて北上する。
坂がいっぱいで、疲れた体にこたえる(w



◆林氏墓地

中には入れない・・・・
文化財ウィークのときは見られるとのこと。




 林氏、一世羅山が朱子学をもって徳川家康に仕え、以来すぐれた儒学者が続き、代々幕府の学制を司る家柄であった。
 墓地は、上野忍ヶ岡にあったが、元禄十一年(1698)三世鳳岡の時この牛込の地を賜り、移設された。現在の墓地は次第に縮小されたもので、儒葬による埋葬様式をとどめているのは八世から十一世までの墓のみであるが、現存する希小な遺例として貴重である。この墓地には十二代の代々の当主の他、その家族など八十一基の墓碑等が林立している。
 昭和五十年(1975)3月から墓地の適正な管理保全を期するため、新宿区の所有とした。これに伴い区では、墓地内の修理と環境整備を行い同時にぢん塾区文化財調査により墓地の調査を実施し、これらの調査記録を、「国民跡林氏墓地調査報告書」として刊行した。
 毎年11月初旬の文化財保護強調週間には、墓地の一般公開を行っている。



泉鏡花旧居跡




 このあたりは、明治から昭和初期にかけて、日本文学に大きな業績を残した小説家泉鏡花が、明治三十二年(1899)から4年間住んでいたところである。
 鏡花は本名を鏡太郎といい、明治六年(1873)石川県金沢市に生れた。16歳の頃より尾崎紅葉に傾倒し、翌年小説家を志し上京、紅葉宅(旧居跡は新宿区指定史跡・横寺町47)で玄関番をするなどして師事した。
 この地では、代表作『湯島詣』『高野聖』などが発表された。鏡花はこのあと明治三十六年(1903)に神楽坂に転居するが、『湯島詣』はのちに夫人となった神楽坂の芸妓によって知った花街を題材としており、新宿とゆかりの深い作品である。




杉田玄白生誕の碑/小浜藩邸跡






 若狭国福井県小浜藩主の酒井忠勝が、寛永五年(1628)徳川家光からこの地を拝領して下屋敷としたもので、屋敷の周囲に竹矢来をめぐらせたことから、矢来町の名が付けられました。
 もと屋敷内には、小堀遠州作になる庭園があり、蘭学者として著名な杉田玄白先生もこの屋敷内で生まれました。





矢来公園の中にあった。




◆地蔵坂





江戸時代後期、小浜藩酒井家下屋敷(現在の矢来町)の脇から 天神町へ下がる坂を地蔵坂と呼んでいた(『砂子(すなご)の残月』)。 坂名の 由来はさだかでないが、おそらく近辺に地蔵尊があったと思われる。




◆渡邊坂




江戸時代、坂の東側に旗本渡邊源蔵の屋敷があったのでこう呼ばれた。源蔵は五百石 取りの御書院番で、寛文七年(1667)に市谷鷹匠町の屋敷と引換えにこの屋敷を 拝領し、渡邊家は幕末までこの地にあった。




◆北野神社





豊玉稲荷神社






◆傳久寺








続く。