2018/01/21 01 三鷹散歩 02 諏訪クワガタ昆虫館/萬助橋/松本訓導殉難の碑/お地蔵さん/大盛寺/井の頭公園/いせや

この日記のエリアは井の頭公園とその周辺。
山本有三邸、井の頭自然文化園などでこの辺はたくさん来ているが、初めての所が多かった。



◆諏訪クワガタ昆虫館

こちらは別の日記で書くことにする。

http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20180121/1516819647



◆萬助橋






 安政年間(西暦1854〜1859年)に下連雀村の地主である渡邊萬助は、玉川上水に牟礼大盛寺境内の杉を二つ割りにして橋を造りました。当時の玉川上水は江戸の上水道として水量も豊かで流れも早く、「人喰い川」と言われるほどでした。これが最初の「萬助橋」であり、橋の名前は渡邊家の世襲名である「萬助」に由来しています。
 その後「萬助橋」は時代とともに改修が行われて来ました。玉川上水上水道としての使命を他の施設に譲りましたが、江戸時代に上水の清浄を保つために植えられた松、杉、桜、などに、当時の面影を偲ぶことが出来ます。
 平成6年、老朽化に伴い「萬助橋」の架け替えが行われました。玉川上水井の頭公園など武蔵野の豊かな自然景観との調和に配慮し、橋の高欄には神社、仏閣などに用いられている日本古来の構造形式である「はね高欄」のシンプルなデザインを取り入れてます。また、本橋は親柱に橋灯を組み込んでいます。これは本橋が、吉祥寺通りの屈曲点に位置していることに加え、三鷹、武蔵野の両市におけるランドマーク(地域の目印となる象徴的景観)としての意匠がなされています。



◆松本訓導殉難の碑




 大正八年(1919)十一月二十日東京府麹町区(現在千代田区)永田町小学校全校児童は、井の頭公園に秋の遠足を行った。当時の井の頭公園は都心から離れた郊外で来園する人も少なかった。従ってこの遠足は文字通りの遠出で、児童達は大変期待していたものである。
 到着後、喜びのあまり遊びに夢中になっていた一児童が足をすべらせて玉川上水の急流に落ちた。急を聞いた松本虎雄訓導は、わが身の危険もかえりみず上水に飛び込み児童を救おうとしたが、急流にのまれて殉職した。時に三十三才であった。
 命を捧げて児童を救おうとした尊い行為は、人々に深い感銘を与えた。松本訓導の児童愛に燃えるこの勇敢な行為は、教師のかがみといえるものである。これを後世に顕彰するために、殉難のあったこの地に記念碑が建てられたのである。



◆お地蔵さん

説明板などがなく詳細がわからなかった。
WEBで調べても出てこなかった。



◆大盛寺




井の頭公園

「かいぼり」の最中だった。
3月には水を入れて元に戻すとのことだった。



モモンガがいた!
飼い主が遊ばせてるっぽかった。



◆いせや



前の方が良かったなあ



散歩するにはちょうど良い天候だった。
次にこの辺を散歩するのは桜が咲いたときかなあ。
大好きなエリア♪