2018/02/24 平井散歩 09 小松川神社/逆井橋/逆井の渡し跡/旧三大小記念公園/東大島神社/大島七丁目公園

江戸川区から逆井橋を渡ってまた江東区に戻る。
疲れて頭がぼーっとしてきて、最短コースからかけ離れる(汗



小松川神社



大聖歓喜天

何の神様かわからなかった。
調べてみると、仏教の守護神である天部の一つで、秘仏としてあまり公開されるものではないとのこと。
更に詳しいことがwikiに載っていて、また新しい知識の扉を開けた気がする・・・・。




大聖歓喜天の後ろにお地蔵さまが沢山いらっしゃった。


稲荷神社



境内社

小さな祠がたくさんあった。


鳥居



逆井の渡し跡の説明板

この神社からすぐみたいだ。



◆逆井橋




先程の亀小橋がよく見える。



◆逆井の渡し跡


 中川をわたる逆井の渡しは、『新編武蔵風土記稿』に「中川、村の西を流る、幅四十間許、対岸は亀戸村なり、ここに渡船場あり、元逆井村にありし渡しなるを以て、今も逆井の渡しとよべり、船2艘あり、一は亀戸村の持、一は当村持」とあるように、もとは北隣りの逆井村にあったものが、その後西小松川村(現在の逆井橋付近)に移転したもののようです。ここに江戸と房総を蒸すぶ街道がひらかれたからでした。この街道を元佐倉道といい、区内を北東にほぼ直線で横切って、小岩市川の渡しを渡り、市川から佐倉、成田へ向かいました。明治に入って千葉街道とよばれるようになりました。
 逆井の渡し付近は風景も良く安藤広重が「名所江戸百景」のひとつに描いています。明治十二年(1879)、渡し跡に橋が架けられて、逆井の渡しは廃止されました。架橋答辞は村費による架橋費を補うために通行料(橋銭)を徴収する賃取橋でした。明治二十七年(1894)に橋銭徴収は終わり、明治三十一年(1898)に、東京府によって架けかえられています。昭和四十三年(1968)には、江戸川・江東両区の協力で鉄橋になっています。その後、旧中川沿岸の景観整備や、虹の大橋やもみじ大橋・さくら大橋がかけられて、現在のすがたになりました。




◆旧三大小記念公園

WEBで調べるとここに「第三大島小学校」があったとのこと。
さらに調べると、平成12年に校舎移転したとあった。




東大島神社




水神宮


豊栄社/庚申塔



力石等



鳥居




◆大島七丁目公園



続く。