2018/03/02 大島散歩 03 岩井橋/稲荷神社/中浜万次郎宅跡/北砂緑道公園/クローバー橋/釜屋堀子育地蔵堂

ここで、「東京大空襲・戦災資料センター」に入ろうと思ったら、オープン時間は12時。
このとき時計を見たら11時前・・・・。
なので、他の場所に行ってから戻ってくると決める。



◆岩井橋



google map に載っている「陰亡堀」のマークがついている部分はここである。
現地に説明板などがないのでここであってるかどうかわからない。
東海道四谷怪談』の「砂村隠亡堀の場」だそうだ。
もちろん怪談は作り話だが、場所は実在し境川横十間川の交差するこの岩井橋の辺りにあった。
火葬場があったとのことである。
岩井橋の由来は、物語のお岩さんである。
お岩さん、四谷だけでなくこちらにもいらっしゃるんですね・・・・。





◆稲荷神社

こちらは東京大空襲・戦災資料センター脇にあった。



中浜万次郎宅跡



 中浜万次郎宅跡(ジョン万次郎旧居跡)
 「ジョン万次郎」の名で知られる中浜万次郎は、文政10年(1827)、土佐国高知県)の猟師の家に生まれ、明治31年(1898)に没しました。
 万次郎は、14歳の時に漁に出て遭難し、無人島に漂着しましたが、アメリカの捕鯨船に救助され、24歳で帰国するまでの大半をアメリカで過しました。帰国後は土佐藩、ついで幕府に登用され、アメリカの情報を伝えるとともに、通訳や航海士などとして活躍しました。
 明治元年(1868)、万次郎はふたたび土佐藩に登用され、翌年から、この地にあった同藩の下屋敷の中に住みました。この下屋敷は6600坪(21,780平方メートル)ほどあり、庭にわ広大な池があったようです。万次郎は開成学校(東京大学の前身)の教授などを勤めながら11年間をここで過ごしました。




北砂小学校の敷地の中に説明板があった。
google mapには、土佐藩下屋敷(深川屋敷)ともある。



◆北砂緑道公園



クローバー橋

小名木川横十間川が交差する場所にバツ印「×」のような橋が架かっていた。










◆釜屋堀子育地蔵堂



続く。