ここで、「東京大空襲・戦災資料センター」に入ろうと思ったら、オープン時間は12時。
このとき時計を見たら11時前・・・・。
なので、他の場所に行ってから戻ってくると決める。
google map に載っている「陰亡堀」のマークがついている部分はここである。
現地に説明板などがないのでここであってるかどうかわからない。
『東海道四谷怪談』の「砂村隠亡堀の場」だそうだ。
もちろん怪談は作り話だが、場所は実在し境川と横十間川の交差するこの岩井橋の辺りにあった。
火葬場があったとのことである。
岩井橋の由来は、物語のお岩さんである。
お岩さん、四谷だけでなくこちらにもいらっしゃるんですね・・・・。
◆稲荷神社
こちらは東京大空襲・戦災資料センター脇にあった。
◆中浜万次郎宅跡
中浜万次郎宅跡(ジョン万次郎旧居跡)
「ジョン万次郎」の名で知られる中浜万次郎は、文政10年(1827)、土佐国(高知県)の猟師の家に生まれ、明治31年(1898)に没しました。
万次郎は、14歳の時に漁に出て遭難し、無人島に漂着しましたが、アメリカの捕鯨船に救助され、24歳で帰国するまでの大半をアメリカで過しました。帰国後は土佐藩、ついで幕府に登用され、アメリカの情報を伝えるとともに、通訳や航海士などとして活躍しました。
明治元年(1868)、万次郎はふたたび土佐藩に登用され、翌年から、この地にあった同藩の下屋敷の中に住みました。この下屋敷は6600坪(21,780平方メートル)ほどあり、庭にわ広大な池があったようです。万次郎は開成学校(東京大学の前身)の教授などを勤めながら11年間をここで過ごしました。
北砂小学校の敷地の中に説明板があった。
google mapには、土佐藩下屋敷(深川屋敷)ともある。
◆クローバー橋
小名木川と横十間川が交差する場所にバツ印「×」のような橋が架かっていた。
◆釜屋堀子育地蔵堂
続く。