お花見をしたことがある猿江恩賜公園まで北上し、西側を南下する。
◆釜屋跡
太田氏釜屋六右衛門と田中氏釜屋七右衛門は通称釜六釜七と称し寛永十七年(1640)今の滋賀県から港区にきて●●なくこの付近に住い釜六は明治時代まで釜七は大正時代まで代々鋳物業を盛大に続けて知られなべかまの日用品をはじめぼん鐘仏像天水おけなどを鋳造した。
●のところは撮った写真に葉っぱが写っていて読めなかった。
◆猿江恩賜公園(南側地区)
◆猿江材木蔵跡
この付近は江戸時代初期に埋め立て元禄十二年(1699)深川元木場にあった時木場を一時ここに移したことあがあり、そののち享保七年(1722)伊勢屋毛利藤左衛門たちが堀を埋め立て毛利新田をひらいたが享保十九年(1734)幕府はその大部分をとりあげて材木蔵をおき以来幕府の貯木場となし明治以降は皇室所有の貯木場となり大正十三年(1924)その一部を猿江公園とした。
◆住吉駅
続く。