今度は西大島駅まで一気に北上する。
ちょっと史跡の少ないエリアが存在した。
◆石田波郷生誕百年記念碑
石田波郷(はきょう)は大正二年(1913)松田氏に生れた俳人
戦後の昭和二十一年から十二年間、砂町にある妻あき子の実家で暮し、「江東歳時記」や「借命」に下町の風情や闘病中の句を詠みました。
◆旧大島町役場跡地
役場の跡がここにあったのかどうかまでは確認が取れなかった。
◆西大島駅
五百羅漢は、元禄八年(1695)に松雲元慶禅師(しょううんげんけいぜんし)により創建された黄檗宗の寺院です。禅師は貞享年間(1684〜1688)に江戸へ出て、元禄4年(1691)から木造羅漢像を彫り始めました。元禄8年(1695)、将軍徳川綱吉から天恩山五百羅漢寺(てんおんさんごひゃくあらかんじ)の寺号と6千坪余の寺地を賜り、ここに自ら彫像した羅漢像など536体を安置しました。
当寺の三匝堂(さんそうどう)は、廊下がらせん状に3階まで続いており、その様子がサザエのようであることから、または三匝とサザエの発音が似ていることから「さざえ堂」と呼ばれ、多くの参詣客を集める江戸名所のひとつでした。区内には、五百羅漢までの道筋を示す道標が2基現存しています。
羅漢寺は明治二十年(1887)本所緑町(現墨田区)へ移り、さらに明治四十二年(1909)現在地(目黒区)へ移転しました。
ここに残る石標柱は、五百羅漢跡を示すために昭和三十三年(1958)に建てられたものです。
◆旧城東区役所跡地
区役所の跡がここにあったのかどうかまでは確認が取れなかった。
城東区について調べてみると、かつて東京府東京市に存在した区で、23区に再編されるまで東京35区の一つとのことだった。
続く。