西へと進んで東武線竹ノ塚駅を超える。
さらに西へと進んでいく。
淵江村を調べてみた。
「淵」と表記されていたり「渕」と表記されているがどちらでもよいみたい。
1889年(明治22年)保木間村、竹塚村、六月村、伊興村を統合し渕江村が発足した。
1891年(明治24年)伊興村が渕江村より分離。花畑村の飛地を編入した。
1932年(昭和7年)千住町、西新井町、梅島町、舎人村、東渕江村、伊興村、江北村、綾瀬村、花畑村とともに東京市へ編入され足立区となった。
◆竹ノ塚駅
白幡塚は直径約12メートル、高さ約2.5メートルの円墳で、およそ5〜6世紀の築造と推定されています。かつて毛長川南岸の伊興地区には、擂鉢塚(すりばちづか)、甲塚(かぶとづか)、船山塚などの古墳があり、伊興古墳群を形成していましたが、現在では白幡塚古墳が残るのみです。
白幡塚という名称は、康平5年(1062)源頼義、義家親子が欧州遠征の途上この地方の豪族を破り、この地に白旗を立てたことに由来するといわれています。
周囲は白幡塚史跡公園として整備されています。
白幡塚史跡公園は以前行ったことがある。
2016/07/02
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20160702/1467578916
◆東岳寺
初代安藤広重墓及び記念碑
安藤広重(1797—1858)は、江戸時代後期の浮世絵師です。広重は、八重洲河岸定火消組同心の子として生まれ、文化八年(1811)、十五歳のとき歌川豊広に入門し浮世絵を学び、歌川の画姓と広重の号を許されました。浮世絵諸派の画風を学ぶとともに洋画の遠近法を加味し、風景画や花鳥画で人気を集めました。また、天保年間に「東海道五拾三次」を発表し、一躍名声を得たことでも有名です。
墓所は昭和三三年(1958)の再建で、記念碑は大正一三年(1924)に建てられたものですが、昭和五二年に現在地に再整備されています。なお、現在では安藤広重ではなく、歌川広重という呼称が一般的です。
◆早房御嶽神社
どこにもそれらしいものがなかった。
google mapにマークしてくれた人は何を参考にしたんだろう?
続く。