さて残り1つで帰る前に、何か残してないか調べてみる。
google mapにいっぱい出てきた!
なーんーでー?
ということで、延長戦。
◆神領堀親水緑道
「御神領(ごしんりょう)」について
御神領堀の名前の由来となった「御神領」とは、徳川将軍家の菩提寺である上野の東叡山寛永寺の領地の名前です。寛永寺は一万石の領地を持つ江戸時代最大級の寺院で、「神」となった将軍たちをまつる寺院です。その寛永寺の領地であることを表した名前で別に山号をとって東叡山領とも称していました。足立区内では伊興・鹿浜・加賀皿沼・堀内(ほりのうち)・沼田・高野(こうや)の6カ村が寛永寺の領地となり神の領地という意味で「御神領」と呼ばれていました。
◆入谷氷川神社
出羽三山
田舎を思い出す♪
入谷古墳跡
左側に写っている碑は「入谷古墳跡」と書かれている。
入谷古墳については、文政五年(1822)徳川幕府が各地の村などを調査して作成した「新編武蔵風土記」入谷村の記録に「八幡社 塚上ニアリ。土人白幡八幡ト称ス。古岩槻攻ノ時、当初ニ幡ヲ立シヨリ、カク称セリト云」とある。この地域は東京東部低地(足立区・葛飾区・江戸川区・帰宅・荒川区・墨田区)の北辺にあたり、足立区内でも最も早い時代(四世紀頃)に古代の人々の集団生活がはじまった場所の一つである。
毛長川沿岸には舎人遺跡・伊興遺跡・花畑遺跡などの多くの古墳時代の遺跡が確認されており、これらの遺跡とともに多数の古墳が過去に存在したことが知られている。昭和四十九年、当地の区画整理事業に当り、予定ではこの塚の半分以上が削られるところであったが、地元住民の熱意によりこの塚が保存されることになった。入谷氷川神社氏子総代が中心となり、計画を変更し保存に協力したのである。
現在、区内に残されている古墳は東伊興の白幡塚古墳一基のみとなってしまっている。古墳の可能性の高いこの塚が保存されることは、きわめて有意義なことである。
◆庚申塔
◆古千谷天祖神社
続く。