2018/04/08 新宿散歩 03 玉川上水・内藤新宿分水散歩道/新宿御苑旧大木戸門門衛所/内藤新宿開設三百年記念碑/花園公園

御苑の北側を東に散歩した後はもう少し北側を西側に散歩する。



玉川上水内藤新宿分水散歩道



説明板がたくさんあった。



玉川上水内藤新宿分水散歩道

玉川上水の新しい分水路の誕生



 新宿区では、「まちの記憶」として次世代に受け継ぐべき財産である「玉川上水」の流れを偲ぶため、環境省をはじめとした多くの関係者の協力のもと、新宿御苑内に玉川上水内藤新宿分水散歩道を整備いたしました。
 分水散歩道の延長は約540m「旧新宿門」「大銀杏」「大木戸」の3区間から成り、水源には、国道20号新宿御苑トンネル内の共同溝に湧出した地下水を利用しています。水路底には、粘土を使用し、自然な流れを再現しました。また、既存の樹木を活かしながら林床には、武蔵野の雑林で生育する草本類を中心に植栽しています。新宿御苑雄大な自然と四季折々の変化とあわせて散策をお楽しみください。



玉川上水の流れをたどる

江戸の飲料水を確保するために、承応3年(1654年)に開設された玉川上水は、多摩川羽村堰(羽村市)がら四谷大木戸(現在の四谷四丁目交差点付近)までの約43Kmの区間を、土を掘り抜いただけの開渠(かいきょ)で造られていました。




新宿御苑の案内



玉川上水の生い立ちと新宿

玉川上水の歴史>

 玉川上水は、江戸の飲料水を確保するために、玉川兄弟の手により承応3(1654)に開設された益田。取水口である多摩川羽村堰(羽村市)から四谷大木戸(現在の四谷四丁目交差点付近)までの約43Kmの区間は、土を掘り抜いただけの開渠(かいきょ)で造られていました。四谷大木戸から市中へは、医師や木でつくられた水道管を通じて水を供給し、淀橋浄水場の完成した明治31(1898)年頃まで、江戸、東京の人々にとって貴重な水資源でした。
 新宿区には、四谷大木戸に水番屋があり上水の管理を行っていました。また、四谷見付付近は、江戸城本丸、吹上御所、市中の郁子や町人の屋敷へ供給する分水の分岐点となっていました。これらの地域は上水管理の上で、大変重要な役割を持っていたことがわかります。


<新宿における玉川上水

新宿区内での上水の利用は、四谷などごく一部でした。四谷は下町と違い、水にめぐまれた地域であったことから、掘り抜きの井戸を多く使っていたためと思われます。水の確保のためにつくられた上水ですが、内藤新宿界隈では、桜並木が続く江戸の名所を生み出し、多くの行楽客でにぎわいました。
 明治になると、通船(つうせん)が行き交っていた時期もありました。



玉川上水内藤新宿分水散歩道の整備にあたって

<地元参加による整備計画の策定>

玉川上水内藤新宿分水散歩道の整備にあたっては、平成17年度から検討会を立ち上げ、整備にあたっての分水の大きさの決定や水の確保など技術的な問題をはじめ、維持管理に至るまでの様々な検討課題について議論し、整備計画を策定いたしました。
 検討会は、地域の方々をはじめ、学識経験者、環境省国土交通省東京国道事務所、東京都、渋谷区、NPO団体などの関係機関により構成されました。



玉川上水の水番屋

玉川上水を管理する水番屋>
 江戸の貴重な水資源を守るため、玉川上水は、厳重に管理されていました。上水で魚を捕ることや、水浴びをすること、羽村、代田村(現杉並区)、四谷大木戸には、水番屋が設置され、水質、水量や遺物の監視を行っていました。
 四谷大木戸の水番屋は、行内の総坪数が630坪(約2082平方)余りあり、流れてきたごみを止める「芥留」、満水時に渋谷川へ水を排出する「吐水門」、暗渠へ入る「水門」がありました。「水門」では、水量を測定する「歩み板が設けられ、この板と水面までの間隔から水量の増減を調べました。



<水道碑(いしぶみ)記>
 四谷大木戸の水番屋は、現在の四谷地域センター内にあり、これを記念して、明治2881895)年に石碑が建てられました。石碑は、高さ4.6メートルにおよび、篆額(てんがく)は徳川家達(いえさと)が書き、書は金井之恭(かないしきょう)が書いています。碑文には、漢文で玉川上水建設の理由や、工事を請け負った玉川兄弟の功績をたたえた内容が書かれています。




新宿御苑旧大木戸門門衛所

前の日記の「新宿御苑旧新宿門門衛所」と同時期のものかな?




内藤新宿開設三百年記念碑

 元禄十一年(1698)六月、浅草阿部川町の名手・高松喜兵衛(後の喜六)らの願いにより、ここから新宿三丁目交差点付近までの約1kmに、新たな宿場として「内藤新宿」が開設された。
 この宿場は、享保三年(1718)に一旦廃止されたが、54年後に再興されて以降、甲州・青梅両街道が交差する、交通の要衡として、また文化と娯楽の町として繁栄をつづけ、平成十年(1998)、開設三百年を迎えることとなった。
 新都心・新宿の出発点となった内藤新宿の歴史と先人の歩みを記念し、ここに記念碑を建立する。



御苑大木戸門すぐ脇にあった。




◆花園公園



綺麗な花が咲いていたけど、なんだろう?
椿にしては時期が遅すぎのような気がするし・・・・







続く。