2018/04/12 湯島散歩 02 神田田代町/花房稲荷神社/秋葉原練塀公園/神田消防署/伊東玄朴住居跡/西洋医学所跡

山手線に沿って北上する。
電車でよく通る場所だが、下は始めてだなあ。



◆神田田代町



 この界隈は、外神田四丁目になる前は、神田田代町と呼ばれていました。
寛政五年(1793年)、湯島の無縁坂から出火した大火で神田川周辺にあった町が類焼し、町の一部が火除地となりました。翌年、そこに住んでいた人々が、御成道(おなりみち)の旗本永井伊織の屋敷跡を代地として与えられて移転してきました。そのため、この一帯は神田須田町二丁目代地、小柳町三丁目代地、神田松下町一丁目代地、神田花房町代地などと呼ばれる町になりました。
明治五年(1872年)、このあたりが俗に「神田代地」とも称されていたことから、それを略して「田代町」と名付けられました。千代田区に属した昭和二十二年(1947年)からは神田田代町と改称され、同三十九年(1964年)に住居表示が実施された際、周辺の町の一部と合併して、現在の町名「外神田四丁目」になりました。
町内の路地裏には「花房稲荷神社」があります。現在の社は戦後、地元住民が再建したものですが、神社そのものは江戸時代からこの地にあったとされ、古くから地域のシンボルとして人々に親しまれています。



◆花房稲荷神社




ものすごく細い路地を通ったところにある。




秋葉原練塀公園



八重桜がまだがんばっていた。



公園名について

 本公園は、平成27年に新設した台東区50番目の公園であり、過去と現在を繋ぐ意味を込め、現在の町名である「秋葉原」と、旧町名である「練塀町」を合わせ、公園の名称としたものである。


旧町名(練塀町)と現町名(秋葉原)の由来

 旧町名である練塀町の練塀とは、土と瓦で築き、上を瓦で覆った塀のことで、江戸時代、練塀で囲まれた屋敷があったことから、この辺りが練塀小路と呼ばれていたことに因む説がある。
 また、現町名である秋葉原は、明治の初め、大火が発生し、このあたりの地一帯を火除地としたのち、その中心に「鎮火社」を創建したところ、人々が火除けの神様である秋葉権現を祀る秋葉神社と呼び、この鎮火神社のある界隈が「秋葉の原」「秋葉が原」「秋葉っ原」などと呼ばれていたことに因む説がある。昭和39年(1964)住居表示制度で台東区練塀町全域が松永町とともに現町名の秋葉原となった。



◆神田消防署




◆伊東玄朴住居跡



google mapに載っていたので来てみたが、説明板など見当たらなかった。
江戸時代末期(幕末)から明治にかけての蘭方医
お墓は谷中の天龍院にあるとのことだったので、機会があったら行ってみよう。



◆西洋医学所跡

こちらもgoogle mapにあったので来てみた。
説明板などは見当たらなかった。

webで調べてみたのだが、情報がどれが何を指しているのかわからない(オヴァンの頭がバカ)ので、機会があったらゆっくり調べてみようと思う。



続く。