24時間勤務アケに水道橋から本郷の東大付近まで歩き、また水道橋に戻ってきた。
10年前くらいに歩いたところと、去年9月と今年4月12日に歩いたところがちょっとかぶる。
◆水道橋駅
◆旧三崎座跡
現地には説明板などなかった。
WEBで調べると明治24年(1891)この地に建てられた劇場とのこと。
◆旧川上座跡
現地には説明板などなかった。
こちらもWEBで調べてみる。
明治29年(1896)6月、新派劇の祖である川上音二郎によって建てられた劇場とのこと。
去年この近くにある「東京座跡」を巡ったことがあるが、この東京座と上記二つの劇場をあわせて、三崎三座と称されたとのこと。
2017/09/26
http://d.hatena.ne.jp/ovanrei/20170926/1506759465
この時google mapには、川上座跡と、三崎座跡は無かった気がするが・・・・。
追加されたか気が付かなかったかな?
◆第一三崎町通ガード
このガードをくぐって水道橋駅の北側に出る。
先程の「第一三崎町通ガード」をくぐってすぐにこの橋があった。
◆東京ドームホテル
あらためて良く見てみると、かなりの高層なんだね・・・・。
河岸とは、物資輸送のために水ぎわに作られた物揚場などの施設のことである。この河岸の名は、江戸時代の中頃まで、現在の後楽2-1-18あたりに“岩瀬市兵衛”の屋敷があったことによる。市兵衛河岸は、飯田橋駅近くの船河原橋から水道橋までの神田川沿いの一帯で、江戸切絵図にもこの名が見える。
この河岸は、明治8年から昭和8年まで現在の後楽園遊園地一帯にあった“砲兵工廠”の荷揚場としてにぎわった。明治時代、この河岸から早船といわれた客船が神田昌平橋まで往復していたこともあった。町名としての市兵衛河岸は、昭和39年の住居表示の施行により後楽1丁目となり、この名は消滅した。
続く。