2018/06/05 高田馬場散歩 03 鉄砲稲荷/手塚プロダクション/天祖神社/戸塚村役場跡/観音寺/小滝橋の碑/小滝橋

どんどん西へ進む。
小滝橋神田川を渡る。



◆鉄砲稲荷神社






手塚プロダクション

アトムが!




天祖神社





戸塚村役場跡



google map に載っていたので来てみた。
マークの位置はだいたいこの辺りであってると思う。
説明板などは確認できなかった。



戸塚村」で調べてみた。

1889年(明治22年)5月1日、下戸塚村、源兵衛村、諏訪村、戸塚村および高田村飛地が合併、南豊島郡戸塚村が発足。
1896年(明治29年)4月1日、南豊島郡東多摩郡と合併、豊多摩郡となる。
1914年(大正3年)1月1日、戸塚町となる。
1932年(昭和7年)10月1日、東京市編入され消滅、淀橋区の一部となる。




◆観音寺


呼潮遍路塚

「お遍路」に関係するものだとおもうけど、詳しいことは判らなかった。




小滝橋の碑

〜中野長者、鈴木九郎の娘の話〜
 昔、紀伊国和歌山県)から鈴木九郎(九十郎)という浪人が流れ流れて中野のあたりに住み着きました。九郎はふとしたことから縁で金を蓄えることができ、数年のちには金銀が蔵に満ち溢れる程になって、近くの者は彼を「中野長者」と呼ぶようになりました。
 ところが、財宝はあればある程きになるもので、この宝をどこかに隠して置こうということになり、下男に背負われては森に行き穴を掘って隠していました。
 しかし、仕事を手伝った下男たちが、いつ変心して盗むかもしれないと疑い始め、下男が森から戻るとき、通り路の橋の下まで来ると、切り殺して川の中に突き落としていました。
 この財宝隠しが一段落したころ、一人娘の縁がまとまり、婚礼の式の夕、犬の遠吠えが続いたかと思うと突然空に黒雲がわきあがり、雷鳴がとどろきました。見ると長者の娘は一匹の蛇に化け、十二社のかたに飛ぶように走り去り、川におどり込んでしまいました。
 父の九郎はすぐ後を追って行ったところ、今の淀橋の上で姿が見えなくなってしまいました。そこで川を下って探すと、今の小滝橋のあたりで死骸が見つかったということです。それから淀橋のことを「姿見ずの橋」、小滝橋のことを「姿見の橋」というようになったと伝えられています。
 長者は、罪のない下男たちを、自分の欲望のために切り殺したむくいの恐ろしさを目のあたりに見て、悔い改め、髪を剃り正蓮と名を改めました。土中に埋めた財宝はこれを基にして、自分の邸を寺にし、このお寺が多宝山成願寺だといわれています。



〜油屋の小僧さんの話〜
 昔吉祥寺に油屋さんがありました。その油屋さんの小僧さんが或る日のこと、井の頭の池のホトリで草を刈って居りました。すると小さな蛇が出て来て、チョロ、チョロじゃまをするので小僧さんは鎌でその小さな蛇を斬ってしまったそうです。するとその小さな蛇の地が井の頭の池に流れ込んだそうです。池は見る見るうちに真赤となってしまい、神田川は三日三晩血が流れたそうです。それからしばらくして、小滝橋の関に大きなアゴの骨がひっかかったそうです。その骨は大蛇の下アゴであったそうです。
 井の頭の池に住んでいた大蛇が、小さな蛇に化けて小僧さんをからかったところ、鎌で斬られてしまったそうです。そのアゴは今でも柏木の或るお寺に大切に保存されているといわれています。





小滝橋







続く。