もうすぐゴールの飯田橋駅。
北口にある大きな歩道橋の写真撮り忘れたなあ。
北野神社(牛天神)の北側の坂で,古くは潮見坂(しおみざか)・蠣殻坂(かきがらざか)・鮫干坂(さめほしざか)など海に関連する坂名でも呼ばれていた。中世は,今の大曲あたりまで入江であったと考えられる。
牛坂とは,牛天神の境内に牛石と呼ばれる大石があり,それが坂名の由来といわれる。(牛石はもと牛坂下にあった)
『江戸志』に,源頼朝の東国経営のとき,小石川の入江に舟をとめ,老松につないでなぎを待つ。その間,夢に管神(菅原道真)が,牛に乗り衣冠を正して現われ,ふしぎなお告げをした。夢さめると牛に似た石があった。牛石これなり と記されている。
◆諏訪神社
思の森稲荷大明神
旧諏訪町
元禄9年(1696)、御本丸小間遣(こまづかい)十人が町屋敷を拝領し、その後変遷があった。町内に諏訪明神があったので、古くから諏訪町と呼ばれた[『御府内備孝』より]
明治5年(1872)、隣地の牛天神下広小路、袋町新道と呼ばれていた武家地を合併した。[『東京府志料』]
江戸時代は武家地で、江戸川端、大曲り新道といっていたのを、明治5年(1872)、これらを併せて小石川江戸川町とした。[『東京府誌より』]
町名は、町の南西側が江戸川に面していることによる。
目白台下の旧関口の大洗堰(現、大滝橋あたり)から船河原橋までを江戸川といっていたが、昭和40年(1965)、新河川法が施行されたて、神田川と呼ぶようになった。
白鳥橋の近く、旧江戸川町十七番地(現、水道1−2のあたり)に、明治6年(1873)、同人社が創設された。幕末は中村敬宇(けいう)(正直)で「江戸川聖人」といわれた。
江戸時代には、隆慶橋東側、雁木横丁といって。いた明治の初め、小日向三軒町(さんけんちょう)代地、小日向東三軒町と称していた地を合併して、新諏訪町とした。
町名は、北側に隣接する諏訪町に対して、新の一字を加えて、新諏訪町とした。
江戸時代、江戸川(神田川)は御留川(おとめがわ)で禁漁であった。江戸川が外堀に注ぐすぐ手前の橋が船河原橋(ふながわらばし)で、ここから下流は禁漁でなかった。
新諏訪町に接する舟河原橋の下手がせき止めてあり、水がドンドと音を立てて流れ落ちた。それでこの橋はドンド橋といわれた。
橋の滝の下は、下ってくる魚を捕らえるために網を張り、釣糸をたれる人が多かった。
◆飯田橋駅
ゴールの飯田橋駅。
北側にある大きな歩道橋から撮影。
ほんのちょっぴりしか歩いてないのにものすごい情報量。
いつも思うのだが、歩いている時間より、日記を書いている時間の方が長い気がする(w