2018/06/28 01 荒川散歩 02 仙光院と峡田小学校跡/ 荒川区役所前歩道橋/荒川区役所/荒川消防署/地蔵堀の石地蔵/荒川警察署/加藤屋敷跡

ほぼ明治通り沿いに東へ。
都電の荒川一丁目あたりまで移動。



◆仙光院と峡田小学校跡




 仙光院は真言宗の寺院で、山号は阿照山阿弥陀密寺。慶長八年(1603)創建で、阿弥陀を本尊としたが、二度の火災の後、元禄二年(1689)、鶴ヶ岡八幡の荘厳院から不動明王を移し本尊としたという。
 九世は耳無不動(現、三峰神社内)を建立した東叡山、の僧光慧。明治になり、廃寺となったが、明治二年(1869)本堂を修復し、尾口八郎が寺子屋とした。明治十年(1877)名川蠖屈がそれを継ぎ、明治十六年(1883)峡田小学校がここに開校。明治三十四年(1901)、荒川三−七七−一(旧第一峡田小学校)の地に移された。跡地は三河島村役場となり、昭和七年(1932)から荒川区庁舎として使用された。




荒川区役所前歩道橋








荒川区役所

手前に移る樹々は荒川公園のもの。
奥に少しだけ見える建物が区役所。
上の歩道橋から撮影。



◆荒川消防署



◆地蔵堀の石地蔵




 この石地蔵は、地蔵堀と呼ばれた用水堀の傍ら(現、サンパール荒川)に南向きに立っていた。大正十四年、現在位置へ移され北向きになった。地蔵堀は今は道路になっている。
 石の台には元文五年(1740)に浄正寺十三世、寛誉が願主となり、三河島村の村人の尽力で再建されたことが刻まれている。当時、ここは三河島村の集落のはずれで、付近のよい目じるしになっていたばかりでなく、村人が旅立つ際に道中の安全を祈願したといわれる。今も交通安全祈願の地蔵として祀られている。




荒川警察署脇にあった。



◆荒川警察署



◆加藤屋敷跡



 この付近には、伊予国愛媛県新谷藩主であった加藤氏の下屋敷があった。元禄十一年(1698)、二代泰觚のとき、三河島村に下屋敷二千百五十三坪(約七千百平方メートル)を拝領したものである。大関氏抱屋敷の北西、現在の荒川一丁目三十六〜三十八番あたりと推定される。
 維新後、明治政府によって屋敷は上地となり加藤氏はこの地を去ったが、三河島町大字三ノ輪字加藤という地名が昭和七年の荒川区制施行まで残っていた。




続く。