2018/07/07 小日向散歩 05 徳川慶喜公屋敷跡/今井坂(新坂)/笠間稲荷/石ばし/西江戸川橋/国産飛行機発祥の地/小桜橋

この日記のエリアは丸の内線と神田川の間になる。
凸版印刷の大きな建物が目立つ。



徳川慶喜公屋敷跡

国際仏教学大学院大学の門、左側に碑が建っている。






徳川幕府最後の将軍徳川慶喜(1837−1913)は、水戸藩徳川斉昭の第七子として生まれた。その後一ツ橋徳川家を継ぎ、後見職として将軍家茂を補佐した。慶応二年に第十五代将軍職を継いだが、翌年大政奉還江戸城を明け渡した。駿府に隠棲した後、明治三十四年に誕生の地である旧水戸藩上屋敷近くのこの地に移り、大正二年ここで没した。




◆今井坂(新坂)





 『改撰江戸志』には、「新坂は金剛寺坂の西なり、案(あんずるに)に此坂は新に開けし坂なればとてかかる名あるならん、別に仔細はあらじ、或はいふ正徳の頃(1711〜16)開けしと、」とある。新坂の名のおこりである。
 今井坂のおこりは、『続江戸砂子』に、「坂の上の蜂谷孫十郎殿屋敷の内に兼平(かねひら)桜(今井四郎兼平の名にちなむ)と名づけた大木があった。これにより今井坂と呼ぶようになった。」とある。
 この坂の上、西側一帯は、現在財務省の宿舎になっている。ここは徳川最後の将軍、慶喜明治34年(1901)以後住んだところである。慶喜は自分が生れた、小石川水戸屋敷に近いこの地を愛した。慶喜はここで、専ら趣味の生活を送り、大正2年(1913)に没した。現在、その面影を残すものは、入口に繁る大公孫樹のみである。
    この町に遊びくらして三年居き寺の墓やぶ深くなりたり(釈 超空) (しゃくちょうくう)
        (この町とは旧金富町をさす)





◆笠間稲荷社

この神社はすごい細い路地を入ったところにあり、ここで合ってるのかどうか不安になりなった。
見つけられて良かった。




◆石ばし

明治43年創業の老舗だそうです。
お腹減ってきた(w
いつか食べてみたい・・・・。




西江戸川橋










 この橋は、明治後期の資料によると、西江戸川町(現在の文京区水道二丁目)と牛込五軒町(現在の新宿区西五軒町)との間に架けられた木橋であったそうです。
 橋が架けられた時期などは定かではありませんが、橋の名はこうした地名に因んで付けられたものと推察されます。
 また、明治初期の資料にはこの橋の記載はありませんが、明治20年(1887年)頃の地図ではこの橋と見られる橋が現在よりやや上流に記されています。





◆国産飛行機発祥の地




 この地は、明治四十二年(1909)〜四十三年(1910)にかけて、陸軍大尉日野熊蔵(1878〜1946)により初の国産飛行機「日野式一号機」が制作された林田商会(後の日本醸造機械株式会社)の跡である。
 明治時代末、飛行機が欧米各国で急速な進歩をとげている様子を見て、日野大尉はその将来性に着目し、全く独力でイギリス・アメリカ・ドイツ・フランスの文献を参考にして飛行機用発動機と機体の設計・製作に着手し、明治四十三年二月にこの地で完成した。
 一層式で翼長約8m、全長約3m、発動機は二衝程(にしょうてい)空冷式8馬力を搭載し、完成まで二ケ月の期間と約2000円を費やした。
 大尉はこの飛行機に自ら搭乗し、明治四十三年三月十八日、戸山ケ原で、日本で初めての国産飛行機の実地飛行試験に成功した。




◆小桜橋







続く。