2018/08/09 池袋散歩 04 目白庭園/赤い鳥社・鈴木三重吉旧居跡/踏切地蔵/徳川黎明館/吉村順三記念ギャラリー/目白橋・目白駅

このエリアは巡る順番を間違えて西武池袋線の線路を渡ったり戻ったり(w
そして目白駅でゴール。



◆目白庭園

綺麗な庭園だった。
HPを見ると紅葉のきれいな写真が載っていた。
秋が深まったらまた来てみようと思った。













赤鳥庵(せきちょうあん)由来

 この庭園内の池の南側に建つ数寄屋造り「赤鳥庵」の名称は、大正七年(1918年)にこの地で創刊された子供のための文芸雑誌「赤い鳥」にちなんだものです。
 雑誌「赤い鳥」は、鈴木三重吉によって主催され、芥川龍之介、有島武部、北原白秋西条八十ら当時の著名な作家や詩人の献身的な協力のもとにわが国児童文学の基礎を築きました。
 その後、昭和十一年(1936年)に廃刊するまで、数々の名作とともに、坪田譲治新美南吉のあらたな童話作家を世に送り出しました。
 その全盛期、赤い鳥社兼鈴木三重吉宅は庭園の東側(現目白三〜十八)にありましたが、他に、この辺りの森の中の隠居家風の一軒家を事務所として借り、「赤鳥庵」と名づけていたとも伝えられています。
 なお、「赤鳥庵」にかかる額は、鈴木三重吉長男・珊吉の筆によるものです。






◆赤い鳥社・鈴木三重吉旧居跡




 鈴木三重吉(みえきち)は明治十五年(1882)九月広島市に生まれた。夏目漱石 門下の小説家で、代表作に「桑の実」がある。大正五年(1916)ごろからヨーロッパ童話の翻訳に努め、大正七年七月童話・童謡雑誌『赤い鳥』を創刊し、途中休館をはさみ、昭和一一年(1936)六月に没するまで主宰した。『赤い鳥』は、同年一〇月に鈴木三重吉追悼号を出して廃刊になった。
 鈴木三重吉の自宅は、一時期を除いて雑誌の発行元である赤い鳥社を兼ねていた。『赤い鳥社』創刊の頃には、当地よりやや東側の山手線沿い(現目白三丁目一七番)に住んでいたが、大正一一年五月から一三年一〇月にかけて当地高田町字代地三五七二番地(現目白三丁目一八番六号)に居住した。その後、長崎村字荒井(現目白四丁目八番ついで五番)に移った。
 『赤い鳥』には、鈴木三重吉芥川龍之介菊池寛小川未明・坪田譲二・新美南吉(にいみなんきち) らが童話 を書き、北原白秋西条八十(やそ)・三木露風(ろふう)らが童謡 をのせ、清水良雄・深沢省三らが童画 を描いた。また児童から投稿を募り三重吉が綴り方を、白秋が自由詩を、山本鼎(かなえ) が自由画をそれぞれ指導した。第一次世界大戦のデモクラシー思想 や児童中心の教育を盛んになるなかで、『赤い鳥』は芸術性の高い児童文化を形成する役割を果たした。





◆踏切地蔵

近くにはちょっと変わった踏切があった。





V字の道路を線路が・・・・・。
他にも見たことがあるが、西武線に多い気がする。
で、この変わった踏切にお地蔵様ということは、事故が多かったからでは・・・・。
などと勝手に推測してしまった。





◆徳川黎明館

尾張徳川家第19代当主、徳川義親侯爵の美術館設立構想を具体化させたものとのこと。中は見ることができないらしい・・・。
名古屋に同関連の徳川美術館があるとのこと。





吉村順三記念ギャラリー

wikiで調べると
「吉村 順三(よしむら じゅんぞう、1908年9月7日 - 1997年4月11日)は日本の建築家。皇居新宮殿の建設に関わった。」
とのこと。
様々なブログを読むと、こちらたまに建築展などやっているようである。
機会があったらいってみようとおもう。




◆目白橋・目白駅

目白駅と一体化した橋・・・といえばいいか(w







こちらでゴール。
台風が去った後で風もまだ強く、そんなに暑くもなくて気持ちよく散歩できた。
今年の夏はやばすぎて散歩する気になれない(w