2018/09/11 王子散歩 08 上中里庚申堂/上中里2丁目児童遊園/中里貝塚史跡広場/新幹線車庫/王子街道南亘り踏切/道標

この日記のエリアは上中里駅近くの京浜東北線・新幹線、東側エリア。
こちらを田端駅の方に向かって歩く。



上中里庚申堂

上中里歩道橋のワリとすぐ近く。




上中里2丁目児童遊園




◆中里貝塚史跡広場



上の二つの写真は同じ公園内。
電車がよく見えて子供や鉄ちゃんにはいい公園かも(w
他、史跡広場が点在していた。
ちゃんと名前があったのかもしれないが・・・・。
史跡の看板がそれぞれにあった。


国指定跡 中里貝塚

 中里貝塚 は、ここから東側約100mほど離れた現在の上中里二丁目広場で平成8(1996)年に発掘調査され、ハマグリやマガキの4mを超す貝層や国内初の貝処理施設などが出土し、縄文時代 を見直す発見として一躍注目されました。
 この中里貝塚 史跡広場は、平成11(1999)年に発掘調査され、2m近い貝層が確認されました。100m以上も離れたこの場所にも厚く堆積する貝層が良好に残っていることが判明しました。また、貝層下から岩盤が波によって削られた波食台と呼ばれる地形を掘り込んだ土杭が発見され、地盤がぬかるむためか、土杭に通じる長6.5m以上の丸太(樹種コナラ亜属)を半割した木道も設置されていました。海岸で水を使った何らかの作業場であったと考えられます。
 中里貝塚がこれまで知られていた他の貝塚と大きく異なるのは、規模の違いがあげられます。周辺での発掘調査、貝殻の散布状況、江戸・明治期の記録などを詳細に分析した結果、貝塚の範囲は長さ1km前後、幅70〜100mにわたると推定されます。この面積は、他の大型貝塚と比較しても桁違いに大きいことがわかります。しかも中里貝塚の貝層は、縄文時代中期の中頃から終わりにかけての500年程の間に集中的に形成されている点からも特異な貝塚といえます。
 この東西2ケ所の広場は平成12年9月6日、縄文時代の生産、社会的分業、社会の仕組みを考える上で重要な貝塚であることから国史跡 に指定されました。






こんな祠があった。
中にいらっしゃるのはお地蔵さんだね。


中里貝塚 ?

 中里貝塚 は、明治19(1886)年に学会で報告されて注目された貝塚 です。110年の時を経て、平成8(1996)年度に本格的な発掘調査がおこなわれました。
 これまで貝塚は、台地上の村につくられる生活ゴミの捨て場とみられていました。しかし、中里貝塚は低地に位置し、調査によって、国内最大4.5mを誇る巨大な貝層が発見されたのです(写真)。貝層からは土器のかけれや、魚や獣の骨などは見つからず、形のそろったハマグリとカキだけが捨てられていた、生活のにおいのしない貝塚なのです。
 この貝塚縄文時代 中期中葉から後期初頭(約4500〜4000年前)に海岸につくられた貝塚です(右上図)。海で採取してきた貝を浜辺で処理して身だけを取り出し、貝殻を海に向かって捨てていたのです。浜辺で貝を処理した施設は道路をはさんだうしろの広場で発見され、巨大な貝塚は目の前に広がっていました。このように、大量に2種類の貝を撮り続けていたということは、ここに集まる縄文時代の人々は、貝を選定し、枯渇しないように浜を管理していたとみられ、自家消費するだけでなく、干し貝に加工して、石器の原料である石材と交換していたようです。
 中里貝塚は、海岸につくられた「水産加工の場」だったのです。


 縄文時代前期(約6000年前)には現在よりも海水面が高く、図のように関東平野の奥まで海水が入っていました。中里貝塚が形成された縄文時代中期中葉から後期初頭(約4500〜4000年前)にはある程度海は退き(赤線が推定される海岸線)、ちょうどこの辺りは海岸でした。




中里貝塚?

 巨大な貝塚(右手の道路をはさんだ広場)に隣接して、こちらでは、砂浜の中に木枠の付いた1.6m〜1.3mの楕円形の施設の跡が出土しました(右写真)。砂浜の窪みにたまった粘土を利用したもので、中からは焼石やカキ殻などが発見されました。この施設は、貝を加工処理して身を取り出すためのものと見られ、使用方法は右図のように2通り考えられます。
 水揚げされた貝を浜辺で処理して身を取り出し、貝殻を前方に広がる海に向かって投棄し続け、貝殻がふず高く積もったのです。中里貝塚は、「水産加工の場」を示す一連の作業工程がそろって残されていたのでした。」
 この巨大な貝塚を作り上げた作業が少人数で行われたとは考え難く、組織的に共同作業が営まれていたことがうかがえます。





◆新幹線車庫



新幹線が並んで停まっていた。
操車場といえばいいのかな?




◆王子街道南亘り踏切






◆道標

かなり石が削られていてなんて書いてあるのかわからないが「右 〜道」とか「左 〜道」とか書いてあったりしたので、道標だと思われる。





続く。