2018/10/20 国際基督教大学 「泰山荘見学会」

夜勤明けで一人で三鷹にある国際基督教大学へ行ってきた。
キャンパス内にある「泰山荘」の見学会の抽選に当たった!



文化財カードより

 泰山荘は、実業家山田敬亮(1881〜1944)が茶室付き別荘として建設し、昭和14年(1939)に竣工しました。焼失した母屋を覗いて、武蔵野の雑木林の中に6つの建造物が現在も残っています。
 「高風居」は入母屋造、茅葺、平屋建ての建物で、「一畳敷(いちじょうじき)」と呼ばれる畳一枚の小さな書斎と六畳の茶室、三畳の水屋から成ります。「一畳敷」は、幕末に北海道を探検した松浦武四郎(1816〜1888)により、各地の歴史的建造物の古材を集めて、明治19年(1886)に建てられました。この「一畳敷」のために徳川頼倫(よりみち)(1872〜1925)が、やはり歴史的建造物の古材を集めて建てたのが高風居です。この建物は泰山荘建設の際、昭和11年(1936)に代々木上原から三鷹に移築されました。
 待合は備前池田家下屋敷と伝えられる。茅葺平屋建ての寄棟造で、内部に茶室・次の間・水屋・取次・土間・玄関を備えています。
 書院、蔵、車庫は昭和11年(1936)頃の建造で、このうち書斎は入母屋造、瓦葺、平屋建で、6畳と8畳の和室の東西側2辺に、広い座敷縁と濡れ縁を設けています。
 泰山荘の入り口には、江戸城幸橋御門の古材を転用したと伝えられる切妻造、茅葺、高さ5m、幅7.1mの表門が建っています。



◇表門

1936(昭和11)年頃建築
幸橋御門の古材を使用しています。江戸城三十六見附のひとつである幸橋御門は、広場の周囲を石垣で囲んだ、いわゆる枡形で、その土壇から発掘された古材を、門上部の横木とその上の梁2ヶ所に用いた、木造、茅葺の薬医門です。横木に掛かっていつ「泰山荘」の文字が彫られた額は、1966(昭和41)年に焼失した母屋から持ち出されたもので、書いたのは京都東山・建仁寺派管長、竹田頴川(古渡庵)、篆刻は隅谷勝三郎によるそうです。
「泰山荘必携より」




◇待合






江戸末期築/1936(昭和11)年頃移築
江戸大崎にあった備前池田家下屋敷の茶室「池亭」を移築したものと伝えられています。頼棟造り、茅葺き、平屋建ての建築の内部には茶室、次の間、水屋、取次、土間、玄関を備えています。現在は主にICU茶道部の活動場所として使われています。





◇蔵







◇書院





1936(昭和11)年頃築
入母屋造り、瓦葺き、平屋建ての建物で6畳と8畳の和室の南側2辺に広い畳敷きの廊下と濡れ縁を設けています。かつては廊下によって母屋と書院の台所はつながっていましたが、母屋は火事により焼失してしまいました。



◇車庫

1936(昭和11)年頃築
下見板張り、寄棟鉄板葺きの木造平屋建てで、南側に3枚扉があります。郊外住宅地における自動車普及の時代状況を物語る貴重な建物であるとして、文化財に登録されました。



◇高風居 「高風居(気高い人の住まいの意で、武四郎を称えて命名)」

こちらはもらったガイドブックと大学博物館で買った書籍。


1925(大正14)年築/1936(昭和11)年移築
泰山荘の中で一番有名な建築物です。入母屋造り、茅葺き、平屋建ての建物で、「一畳敷」と呼ばれる畳一枚の書斎と茶室、水屋からなります。「一畳敷」は松浦武四郎が収集した全国の寺社の古材が80以上使われています。「高風居」は泰山荘建設の際に代々木上原の徳川邸から三鷹に移されました。




こちらは写真を撮ることができなかった。
足元が悪く、撮影しながらだと危険だからというのと、苔も傷つけられたくないという配慮だからだろう。
苔を踏まないでと事前説明があった。


「高風居」をなんて読むのかちゃんと聞いてくればよかった。
書籍を一冊買ったが書いてないし、ネットにも出ていなかった。
ご存じの方がいらっしゃったら教えてください。




◇母屋
築年不明
日野の庄屋の家で、大きな農家だったようです。詳しい歴史についてはわかっていません。現在は火事によって消失したためです。1966年4月17日の午後、台所から出火し、ものの数分で焼け落ちてしまったと言われています。






国際基督教大学 「湯浅八郎記念館」>

湯浅八郎さんは、初代国際基督教大学学長とのこと。
こちらはキャンパス内での発掘物の数が圧倒的に多かった。

あとは企画展で泰山荘関連で「一畳敷展」をやっていた。
書籍はこちらで購入したものである。









キャンパス散策

学祭やってた。
若い人からエネルギーをたくさんもらえた♪











来年も申し込んで抽選に当たったら来てみたいと思った。
今度は誰かと一緒だとまた違う魅力を見つけられそう!