2018/10/30 駒込散歩 02 稲荷坂/新明公園/駒込名主屋敷/縁結び子育て地蔵尊/駒込天祖神社/富士神社とその周辺

この日記のエリアは10数年前に一度来たことがある。
日記はmixiに残っているはず。
前の日記のエリアから南下していく。



稲荷坂



 坂の名は、かつてこの辺りにあった「宗十郎稲荷」に由来する。伝承では、この宗十郎稲荷は「おこり」(瘧:間欠熱の一種で多くはマラリアを指す)にご利益があり、「おこり」の罹患者が平癒の願をかけ、全治すると履いてきた草履を脱いで宗十郎稲荷の祠前に奉納したという。またこの坂道は宗十郎稲荷の杉林の中にできた道であり、坂下の田端方面から駒込朝嘉町の駒込土者店(つちものだな)へ野菜等を出荷するために、百姓が毎朝急いで通った近道であったという。(安政年代駒込富士神社周辺之図図説)




◆新明公園





駒込名主屋敷

拾年くらい前に来たことがあるが、その時は敷地内に入ることができなかった。
今回は文化財ウィークのおかげなのか、いつも入れるようになっのかは不明だが、敷地内には入ることができた。
建物の中には入ることができず、残念だった。




写真には見えないが「文化財ウィーク」ののぼりや案内があった。



 高木家は慶長のころ、当時伝通院領であった駒込一帯の開拓を許可され、そのまま土着したといいます。武蔵国の地誌「新編武蔵風土記稿」(1830年完成)に紹介されており、草創(くさわめ)名主として位置づけられます。代々嘉平治(かへいじ)を襲名し、農産のかたわら上駒込村(現在の駒込地区の北半)の名主役を務めていました。
 薬医門形式の表門は宝永年間のものと伝えれラれています。家屋も宝永年間の創建とされますが、火災にあって享保二年(1717)に再建されたと伝えられます。式台つきの玄関は、一般の町屋では許されず、格式の高いものです。
 名主屋敷跡として全体の遺構をよく保存しており、貴重な文化財と言えます。指定面積は1552.56?で、表門、主屋、土蔵などが含まれています。




◆縁結び子育て地蔵尊







駒込天祖神社





稲荷神社



榊神社/須賀神社/戸隠熱田神社



神社裏にあった庚申塔




鳥居



 江戸時代、駒込氏神として、神明さまと呼ばれ、里人に親しまれてきた。社伝によると、文治5年(1189)源頼朝が奥羽征伐(藤原泰衡追討)の途中、この地に立ち寄り、夢のお告げで、松の枝に大麻伊勢神宮のおふだ)がかかっているのを見つけた。頼朝は、討伐のよい前触れと喜び、この地に神明(天照大神)を祭ったのが、この神社の起源と言われる。社殿の様式は、神明造り。
大麻のかかっていた大木は、神木として崇められ、さしわたし4尺(12m)もある大木と伝えられている。(『江戸砂子』から)
その後、宮守もなく神木の根元に小さな祠を残すだけとなったが、1650年頃、堀丹後守利直によって再興された。神木は、その後枯れたという。
社殿の裏に、都立駒込病院あたりにあった「鷹匠組」の寄進名が刻まれた石柱が、いまも残る。




◆富士神社とその周辺

 江戸時代、富士神社は富士山を神としてまつる振興の拠点として栄えました。社殿は、富士山に見立てた小山の上にあります。今でも7月1日の大祭には、大勢の人でにぎわいます。神社わきの本郷通りは、江戸時代に将軍の通行路としてひらかれた道です。
 近くに、名庭園の「六義園」、古いお寺の「吉祥寺」、江戸時代の「青物市場跡」、少し離れて八百屋お七の墓のある「円乗寺」、「白山神社」など名所・旧跡があります。




続く。