2019/02/08 上野散歩 06 善光寺坂/玉林寺/谷中坂町/信行寺/妙情寺/上野消防署谷中出張所/上聖寺

まだまだ東へ進む。
お寺のエリアがまだまだまだまだ続く・・・。



善光寺






 谷中から文京区根津の谷に下りる坂には、この坂と北方の三浦坂・あかぢ坂とがあり、あかぢ坂は明治以後の新設である。善光寺坂は信濃坂ともいい、その名はこの坂上の北側にあつた善光寺にちなむ。善光寺は、慶長六年(1601)信濃善光寺宿院として建立され門前町もできた。寺は元禄十六年(1703)の大火に類焼して、青山(港区青山三丁目)に移転し、善光寺門前町の名称のみが明治五年まで坂の南側にあつた。善光寺坂のことは、明和九年(1772)刊行の『再校江戸砂子』にも見え、『御府内備考』の文政九年(1826)の書上には、幅二間(約三・六メートル)、長さ十六間(約二十九メートル)、高さ一丈五尺 (約四・五メートル) ほどとある。




◆玉林寺



千代の富士



相撲界唯一の国民栄誉賞を受賞 
史上有数昭和最後の大横綱千代の富士の業績を讃え顕彰する為 雄姿を留める立像を建立しました

平成二十三年度 一月吉祥日
望湖山玉林寺第二十代住職 山口孝雄

第五十八代横綱千代の富士貢 略歴
一九五五六月一日生まれ 北海道松前郡福島町出身
通算三十一回の歴代二位幕内最高優勝 史上最多の通算勝星一〇四五勝
一九八八年五月場所から十一月場所まで五十三連勝 歴代三位 等の輝かしい成績を残す
一九八九年九月国民栄誉賞受賞 一代年寄を受けるも九重名跡を継ぐ年寄・九重 財団法人日本相撲協会理事



 



 
左側に建っている檍丸光生(字が合ってるかわからない)について調べてみたが何も出てこなかった・・・。


玉林寺のシイ
 
 望湖山玉林寺は天正一九年(一五九一)現在地に創建された曹洞宗の寺院である。本堂裏側にそびえるシイの種類はスダジイであり、幹回り五・六三メートル、樹高九・五メートル、枝張りは東に三・五メートル、西に二メートル、南に七・五メートル、北に四メートルを計る。玉林寺創建以前から存在していたと言われ市街化した地域に遺存する巨樹として貴重である。平成三年から五年にかけて大規模な外科手術を行った結果、樹勢は回復しつつある。スダジイは、一般にシイノキと呼ばれるブナ科の常緑高木で、福島県新潟県以南の本州、四国、九州、沖縄に分布する。雌雄同株で六月頃上部に雄花の穂を、下部に雌花の穂を出す。果実は、一・五センチ程の大きさで二年目に熟し食用となる。材は家具・建築・パルプ用材として広く使われている。




◆谷中坂町(玉林寺境内)
 
 もともと谷中村に属していた。元禄年中(1688~1704)に寛永寺領となるが町屋が形成されるにつれ、付近に善行寺があったことから谷中善行寺前町と呼ばれた。その後、玉林寺門前町と谷中村飛地をあわせ、明治二年(1869)谷中坂町と命名された。さらに同二十四年、三方路店と呼ばれたところと善光寺坂、三浦坂、藍染川端などを加えた。
 町名は町の中央に坂があったことにちなんで付けられた。もとになった坂は「善光寺坂」と言われているが本町の北側に位置する「三浦坂」も関係があったと思われる。
 -玉林寺に繁る大椎の木ー
 天正十九年(1951)に創建された玉林寺本堂裏手に椎の木がそびえている。幹の太さは6.5メートル余。東京都の天然記念物に指定されている。



◆信行寺




◆妙情寺

かなり立派な松の木があった。




上野消防署谷中出張所



◆上聖寺




続く。