24時間勤務アケで、阿佐ヶ谷をお散歩。
今回はfacebookのイベントで募集していたお散歩会に参加!
写真をあまりとらなかったので、以前撮った写真も使った。
日付を書いてないのは今回撮った写真。
説明を聞いてメモするのに一生懸命だった(w
◆阿佐ヶ谷神明宮
2017年08月07日撮影
勝海舟直筆の「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」の額が架かっている
意味は「天地とともに永遠に続くこと。 」
教えてもらわなければわからなかったなぁ。
暗くて全然見えないので加工してみた。
やっぱり見えない!(w
完全に退色しちゃってるね・・・。
で、なんでここに勝海舟の書があるのか?
調べても全く出てこなかった。
ご存知の方がいたら教えてください。
(o*。_。)oペコッ
天神社
五角形の形をしているのは「ごかく」→「ごうかく」とのことだそうだ。
ご利益ありそう!!
こちらに湧水があって、桃園川に注いでいたとのこと。
一昔前まで池があったということだ。
前回来たときは工事中で入れなかったところだ。
JR東日本の社宅だった場所だそうだ。
1階部分にこちらの看板にあるお店があった。
今度細君と来てみよう。
◆杉並第六小学校の樫の木
昭和20年5月24日の空襲時に半分焼けてしまった木だが、
枯れずに生き残ったとのこと。
グラウンドの真ん中にあり撤去の話も出たが、
地域住民の反対もあり残されることになった。
フェンスがあってなかなかうまく撮れなかった。
二の鳥居「双龍鳥居」
左に昇り龍、右には降り龍。
都内では品川神社・高円寺寺内稲荷神社と同社の3社。
「東京三鳥居」と呼ばれている。
全部行ったことがあるので写真を探してみた。
日記は「はてな」で書いたけど、フォトはmixiだった。
2013/10/28 新馬場散策
http://ovanrei.hatenablog.com/entry/20131028/1388666938
2014/01/01 高円寺散策
http://ovanrei.hatenablog.com/entry/20140101/1391304317
◆庚申塔
こちらの庚申塔は今回教えてもらわなかったら出会えなかった庚申塔。
散歩した2017年8月には google map に載っていなかったと思う。
神社を管理しているのは「太道教(たいどうきょう)」という天理教から派生した教団とのこと。
もうちょっと詳しく調べてみた。
https://goshuin.net/sarutahiko-daidokyo/
こちらのページに以下のような説明があった。
『太道教を設立した中村しげは、昭和13年(1938)霧島神宮の関東における講元となり、昭和15年(1940)瓊瓊杵尊の天孫降臨の事績を顕彰する宗教結社・太道教を設立した。本部には霧島神宮より迎えた天孫瓊瓊杵尊を祀る。猿田彦神社は、猿田彦命が天孫を先導した故事に因み、道ひらきの神として椿大神社より御分霊を迎えたものである。』
御神水所
こちらも教えてもらわなければわからなかった。
一人で散歩することの限界を感じる(汗
こんな素晴らしい知識をお持ちの方と散歩ができて良かった。
一人で歩くのも楽しいけど、やはりちゃんと歴史が聞けるこういった会はいいね!
次も日程が合えば絶対参加!!
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<その他メモ>
阿佐ヶ谷
地名の由来は桃園川の浅い谷地であったことに由来している。
中世には阿佐ヶ谷氏と呼ばれる一族が支配していた。
阿佐ヶ谷氏は太田道灌と対立する豊島氏側についていたが、
北条氏の関東支配が進む中歴史から姿を消してしまった。
wikiで調べていると、多くの文人が住み、阿佐ケ谷文士村と言われた(荻窪・高円寺も含む)とのこと。
田端とか馬込みたいにもう少し盛り上げてみてもいいんじゃないかなぁ?
阿佐ヶ谷神経宮
もともとはAさんの家あたりにあったとのこと。
杉並学院
ゴルファーの石〇遼さんの卒業校とのこと!
ビックリ( ゚Д゚)
馬橋
ちょうど高円寺と阿佐ヶ谷の中間地点にある場所。
元々はここに駅が作られる予定だった。
住民の反対運動がおこり、阿佐ヶ谷に有力者が尽力したおかげで、阿佐ヶ谷駅ができた。
そうなると阿佐ヶ谷、中野間が長くなりすぎるので高円寺ができた。
昔は都電杉並線(荻窪~新宿)の駅があったとのこと。
天保の用水路
天保11年(1840年)、同12年(1841年)に善福寺川(現在の善福寺川大谷戸橋付近)から桃園川に分水するための用水路開削によって誕生した。
この用水によって、三ヶ村(中野村・高円寺村・馬橋村)の22町7反の水田が潤い、恩恵は大正時代まで続いたとのこと。
頂いた資料には、現在共立女子大の寮のある丘(矢倉大)の下にトンネルを掘り成宗弁財天の弁天池を中継し、再び青梅街道の下を潜り、再び地上に出て桃園川流域に至る工事が行われたとあった。