2019/02/16 上野散歩 07 真島稲荷/臨江寺/庄内屋/藍染大通り/根津藍染町/へび道/真島坂

大名時計博物館周辺エリアから南西方向に歩いていく。
へび道などは何度も通ったことがあるが、
やはりこれだけ史跡が等が多いと思わなかった。



◆真島稲荷神社




◆臨江寺





蒲生君平

  蒲生君平は、明和五年(1768)下野国(現栃木県)宇都宮の商家に生まれる。通称伊三郎、字を君臧または君平、修静または修静庵と号した。姓は福田といったが、先祖が豊臣秀吉の武将蒲生氏郷の流れであることを知り、蒲生と名乗ったという。高山彦九郎林子平と共に寛政三奇人の一人と称せられている。
 幼児から学問に励み、長じて水戸藩士藤田幽谷を知り、節義と憂国の感化を受けた。寛政(1789~1800)の末期、諸国の天皇陵を歩き、享和元年(1801)「山陵志」を完成させた。これは、幕末の尊王論の先駆をなすものとして名高い。
 後、江戸に出て著述に専念し、文化十年(1813)に没した。「蒲生君臧墓表」と題した墓石には四面にわたって藤田幽谷の撰文を刻む。昭和十七年国史跡に指定された。
 山門にある「勅旌忠節蒲生君平」の石柱は明治初年度政府が建立したものである。


にゃ♪



山門



◆庄内屋

庄内という言葉に反応しちゃった(w
ご主人は庄内出身者なのだろうか??



藍染大通り



◆根津藍染




 元屋敷と呼ばれた土地であった。六代将軍徳川家宣 の将軍になる前の屋敷地である。宝永元年(1704)将軍の跡継ぎになり江戸城入りした後、五代将軍綱吉は、屋敷跡に、家宣の産土神(うぶすながみ)の根津神社を建てた。屋敷跡の残りを、家臣に与えたので、後世まで元屋敷と呼んだ。
 明治5年に町ができ、藍染川に沿っていたので根津藍染町とした。
 藍染川は、巣鴨染井(すがもそめい)を水源として、根津谷に入る。名称は染井から流れるのであいそめ川。川筋に染物屋があり、川の色が藍色で藍染川。また根津神社門前の遊女とのからみで、はじめてあうからあいそめ川と、各説がある。
現在川は暗渠となっている。



◆へび道

この先もくねくねと曲がりくねった道である。
昔は「藍染川」という川が流れていて、その上に蓋をして暗渠としためくねくねしているそうだ。



◆真島坂



google mapに載っていたので来てみたが、説明板などは見当たらなかった。


「坂マップ」というサイトで調べてみた。
http://saka.30maps.com/map/4983
『三崎坂の上り、谷中小学校の先を右折していく。突きあたりをさらに右折すると、台桜幼稚園の脇を下る坂がある。この坂を真島坂という。前述した三浦氏の勝山藩が幕末に真島藩と改称し、明治5年(1872)にこの一帯が谷中真島町になったので、新しく開かれた坂を真島坂と呼んだのだ』




続く。