2019/03/12 羽根木散歩 01 梅ヶ丘/羽根木公園/中村汀女句碑/松原稲荷神社/区画整理記念碑

24時間勤務アケで、小田急線梅ヶ丘から京王線代打橋駅まで歩く。
羽根木公園の梅が見たかったのでこの時期に来てみたいルートだった。
この日記では梅ヶ丘から北上。
羽根木公園周辺エリア。


◆梅ヶ丘

小田急電鉄「梅ヶ丘」駅
むかーし、仕事で一度きたことがあるけど、夜勤だったし忘れちゃった(w











◆羽根木公園







梅はもう終わりに近かった。







羽根木公園 の由来
 羽根木公園 は、その昔六郎次という鍬や鎌を造る鍛治屋 が住んでいたことから六郎次山と呼ばれていました。また、大正時代末期敷地の一部が、根津財閥 の所有であったことから根津山 とも呼はれるようになり、土地の人達には、今なお「根津山の公園 」、或いは「六郎次山」と呼ばれています。
 名称は、この地が東京都荏原郡世田谷村大字世田谷字羽根木の兼び地であったことから名づけられました。
東京都は、昭和三一年(1956年)羽根木公園として開設しました。その後、昭和四〇年(一九六五年)世田谷区に移管され、総面積は約8ヘクタール(24000坪)となっています。昭和五四年(1979年)国際児童年を記念して、全国で初めての冒険遊び場であるプレーパークが開設されました。

羽根木の梅林
 羽根木公園は、全体が小高い丘になっており、南斜面地は笹が生い茂っていましたが、昭和四二年(1967年)世田谷区議会議員に当選した55名の方々により55本の梅の記念植樹が行われました。その後、昭和四六年(1971年)東京都100周年記念や昭和四七年(1972年)世田谷区制40周年などの記念植樹を経て、現在は紅梅170本自梅530本の700本を数える都内でも屈指の観梅の名所となりました。
毎年2月の梅の見頃には、地元の実行委員会による「梅まつり」が開催され、多くの方々に楽しまれています 。





中村汀女句碑(羽根木公園内)








外にも 出よ
     ふるるばかりに
          春の月




 この句は、俳人中村汀女の代表句の1つで、昭和21年の作品です。
 作者の中村汀女先生は、昭和十二年から世田谷区代田に住まわれ、閑静だった世田谷区の自然に親しみ、このあたりをよく散策されたと言います。
 先生は、明治二十三年熊本市に生まれ、昭和二十二年俳誌「風花」を主宰し、長年にわたって女流俳人の第一人者として活躍され、昭和六十三年九月二十日に早世されました。





◆松原稲荷神社












区画整理記念碑






これはちょっと…・読めないなあ・・・・。




続く。