2019/03/19 本所吾妻橋散歩 02 春慶寺/押上天祖神社/おしなり橋/Big Bamg/生コンクリート発祥の地/おしなり公園

ソラマチ周辺にたどり着く。
何度も来ている場所だが、見る場所ってこんなにあったんだねー。



◆春慶寺

歩道橋から撮った写真。
このビル全部がお寺なんだろうか??






四世鶴屋南北の墓

 南北は「大南北」と尊称された江戸時代の狂言作者です。宝暦五年(1755)に江戸日本橋の紺屋形付職人伊三郎の子として生まれ、幼名は勝次郎(または伊之助)でした。はじめは父とともに仕事をしていましたが、生来の芝居好きから安永五年(1776)、狂言作者初代桜田治助の門に入りました。翌安永六年(1777)には、中村座の「将門冠初雪」という作品に桜田兵蔵の名で作者の一人として初めてその名を連ねました。
 立作者(筆頭作者)となったのは、享和元年(1801)といわれていますが、出世作は文化元年(1804)河原崎座で上演の「天竺徳兵衛韓噺」です。尾上松助(後の松緑)扮する徳兵衛の水中早替りの妙技とあいまって、七十日余りにわたって大入り興行となりました。
 文化七年(1811)には四世鶴屋南北を襲名し「於染久松色読販」、「東海道四谷怪談」など庶民の生活を克明に、時には大胆に描いた傑作を次々と世に送り、人々から圧倒的な支持を得ました。文政十二年(1829)十一月二十七日、75歳で没しました。
 記録によると、墓石には正面に「南無妙法蓮華経」の題目が刻まれ、側面には墓誌名の記載もありましたが、震災・戦災による被災のためかなり損傷しました。
 昭和五十八年(1983)、劇作家宇野信夫の染筆を以て新しい墓石が作られました。




◆押上天祖神社

 押上天祖神社は、明治五年十月元押上村の村社に列し祭日は九月十六日と定められて今日に及んでいる。その起因するところによれば、古く延元年間より祭ってあった。延元は建武の次で、南朝の忠臣楠正成公が湊川の合戦で戦死し、後醍醐天皇が吉野に行かれた頃で今から六百余年の昔に当る。
 当時は押上と云ったかどうか分からないが、大昔は現在の東京の下町は海で、ところどころに島や浮洲があった。この辺は柳島と云われ早い時代に陸地となり人が住んだところとも伝えられている。其の後、花園天皇時代に神明社と称した。祭神は天照大神と八幡、春日両大神を祭ってある。
 また一説には現在の京成橋附近で川が増水して堤防に押上げられてあった御神体を、当時附近の農民等が安置して祭ったとも云われている。その頃は下総国葛飾郡押上村で、其の後に武蔵国編入され、明治5年村社に列する事となり、明治11年の記録には、武蔵国葛飾郡押上村之内字居村向耕地、田8畝18歩、この代金16円80銭、同村天祖神社、同所畑25歩、この代金2円50銭と云う文献が残っている。
 天祖神社は、呼名を朝日神明宮と云われた時代があったそうですが、其の時代は神仏の混交時代で、徳正寺と云う寺が管理していたのが、明治五年に行われた神仏分離により、神官のいない為か牛島神社の区域であり、本社は牛島神社で、押上天祖神社は其の末社と云う事になっている。
 又大正十年に大祭が行われ、同十二年の関東大震災で社殿を焼失した。天祖神社はこの頃迄は平河橋4丁目地域にあったのが、後、昭和三年の区画整理で、現在地(業平2の13の13 )に替地になったのである。境内は272坪5合5勺、大空襲で焼失後社殿も再築されたが、昭和二十年三月の戦災で、又も焼失した。そして昭和二十七年度大祭の折、再び新築し、続いて昭和三十二年の大祭には鳥居が再建され、又玉垣、塀、水屋等も出来、神社としての形態がととのったのであります。尚、終戦後の宗教法人法による神社許可となっている。昭和三十七年境内には社務所、会館を設立すると共に、従前の6ヶ町の外に新たに旧業平橋1丁目と、旧向島押上町が加わり、8ヶ町の神社となっている。
 現在の大神輿は明治二十一年五月五日に新調されたもので、今までに関東大震災と戦災で二度に渡る災害にあったが、現在の神輿庫が奇蹟的に焼失をまぬかれたので大神輿も当時のままの荘厳華麗な姿を残して居ります。



◆おしなり橋










◆Big Bamg

隕石を売ってるとのこと。
むかーし中に入ったことがあるが、どんなところだったっけかな?



生コンクリート発祥の地




 戦後、わが国のセメントが統制下にあった時代、昭和24年11月この地に日本で初めての生コンクリート製造会社が創業されました。
 それまでの施工方法に比べ、簡便で工事費が安価であることから、生コンクリートは道路・起動工事を中心に急速に広まり、わが国の高度成長期を支えてきました。
ここに生コンクリートの発祥の地を記念するとともに、今後も社会基盤を支えていくことを願い、記念碑を建立いたします。






◆おしなり公園

ソラマチの前にある小さな公園だった。
植栽の部分を工事中だった。





続く。