清瀬金山緑地公園から東京都清瀬市になる。
柳瀬川が県境だと思っていたら、どうも微妙に違うらしい。
◆清瀬へ
のどかな風景が広がる。
◆清瀬金山緑地公園
「武蔵野の風と光」がテーマとなっている。
本公園は、武蔵野の面影
を残す清瀬市の風土環境にふさわしい。
引き折々の変化をもたらし、野鳥の囀(さえず)る雑木林を吹き渡る風、梢に
輝く陽光。さらには小川が流れ、雲を映し、夕日に染まる池水は、
かつての武蔵野のイメージとして表現されたもので、市民の憩いの
場となり、生活に潤いを与えてくれる場となる。
清瀬金山緑地公園は、「武蔵野の風と光」をテーマに、昭和61年に作られた広さ1.8ヘクタールの公園で、昭和63年度第4回都市公園等コンクールで「建設事務次官賞」を受賞しています。
この園内には、ケヤキ、コナラ、ウツギなどの樹木やクマザサ、各種野草が植えられているほか、滝から落ちる水が小川となって園内中央部に広がる池に注ぎ込むあたりの湿地帯には、花菖蒲などが植えられています。
また、池の中央の噴水は「柳」をデザインしたもので、独特な水の動きを見せています。
◆地蔵菩薩像
地蔵菩薩
平安時代以降極楽浄土の信仰が広まるにつれて、地蔵菩薩は閻魔王の本地仏として六道をめぐって人々を救い、極楽に行けるように力を貸してくれると広く信じられるようになりました。
そして江戸時代に盛んになった民間信仰と結びつき、火災、盗難除けや病気平癒など人々の様々な願い事をかなえてくれる仏として信仰され、地蔵講なども営まれるようになりました。
月の二十四日は地蔵の有縁日として、お供物を上げたりして親しまれていました。また地蔵は賽の河原で子供を庇護するというところから、子育、子安地蔵として信仰されています。
右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ)をもつこの地蔵は、中里村に念仏講を開いていた二十八名によって江戸時代宝暦五年九月吉日(1755年)に建立された地蔵菩薩で、左側面に法華経化城喩品第七から取った偈文(げぶん)「願わくば仏の説くところの功徳をもってあまねく一切に及ぼし、我等と衆生とみなともに仏道(最高の悟り)を成就したまえ」と刻まれており、地蔵信仰の盛んであったことをしのばせています。
◆中里富士塚
まさかの工事中で立ち入り禁止だった。
再訪したのでそちらで!
2022/12/18 中里富士塚 - ovanの社会科見学
続く。