2019/06/03 幡ヶ谷散歩 05 羽衣橋/柳橋/十二壮熊野神社/新宿中央公園/東京都庁/新宿韋駄天尊

西新宿エリアに突入。
人が多くなるし建物が急に高くなる。




◆羽衣橋



以前来たことがある。
2018/03/04 中野坂上散歩 02 羽衣橋/羽衣湯/柳橋跡/宝橋/長者橋/長者橋公園/里程標No25 - ovanの社会科見学





柳橋








以前来たことがある。
説明などはそちらをご覧ください。
2018/03/04 中野坂上散歩 02 羽衣橋/羽衣湯/柳橋跡/宝橋/長者橋/長者橋公園/里程標No25 - ovanの社会科見学




◆十二壮熊野神社

結婚した時に写真を撮って神様にご報告した想い出の神社。


結婚した時以外にも一度来ている。
2016/10/24 part2 熊野神社 - ovanの社会科見学





新宿中央公園



新宿白糸の滝



新宿ナイアガラの滝



写真工業発祥の地




この地は、明治三十五年五月、小西本店(現・コニカミノルタ)が写真感光材料の国産化を図り、研究所と工場(六桜社)を建設し、製造を始めたところである。同社は、さらにカメラ の製造も始め、写真フィルム の国産化にも成功した。その後、昭和三十八年、新宿副都心建設事業により、八王子・日野へ移転した。今日わが国は、世界の写真 王国となっているが、その礎はこの地で築かれたものである。




「六桜(ろくおう)社跡」
明治35年~昭和38年の間創業していた。
六桜社(現コニカミノルタ)の写真感光材製造工場の跡である。



淀橋浄水場六角堂




六角堂は、旧淀橋浄水場の洋風四阿(あずまや)で、階段を上がった先にある富士見台と呼ばれる築山上にあります。建てられた時期は、明治39年から昭和2年の間と考えられます。公園整備の際に、当時の地盤をそのまま残し、浄水場時代の記念物として保存しました。今では、浄水場のあった当時の施設等はほとんど無くなり、この六角堂は現存する貴重な施設であることから、平成25年3月に新宿区の『地域文化財』に認定されました。
 六角堂の足元にはレンガを用いた飛び石があります。これは淀橋浄水場に使われていたレンガを再利用したものです。


 当時の淀橋浄水場を訪れた見学者は、六角堂付近で場内を眺めながら説明を受けたり、休憩したりしていました。六角堂がある富士見台は、明治39年から始まった沈でん池の増設工事で発生した残土を使い、築山にしたものです。



富士見台

この丘は公園の最高所(標高 東京湾中等潮位十45※)で はるか西空に秀嶺富士を仰ぐ展望台である
 なお ここにある六角堂 は淀橋浄水場 時代のものを補修してそのまま残した
 また通路の飛び石は浄水池の壁に使われていた明治30年頃の古い煉瓦である。



東京都庁




◆新宿韋駄天尊

韋駄天尊は、増長天八将軍の一官として 甲冑に身を固め走る事疾風の如しと称され 仏法 衆生 交通の守護神として霊験あらたかなりと驚き信仰を集む
ご本尊は江戸中期の作とされ 上州翰林の城主秋元丹波守礼朝公の守護神として当初江戸浅草に祭祀され 明治三年同公の下屋敷たる当地に遷座さる
その後広く地元の信仰を集め 大正八年 八坪の独立仏堂となるも第二次世界田陰線の末の空襲により昭和二十年五月焼失破壊さる
戦後の混乱もしばらくおさまりたる昭和三十年 地元に復興の機運高まり 本尊は仏画の大家宮原柳遷画伯の揮毫により 名工草野氏が仙台石に彫刻し 堂宇は大工頭領平田七五郎氏により総桧造りを持って再建さる 
以来三十年の星霜を経て 当地区は東京新都心として超高層ビルが林立し かつ都庁舎も近く当地へ移転する時代を迎えんとす
ここに環境にふさわしい近代的堂宇を新築申しあげ韋駄天尊が永劫に当地の守護神として御加護賜らんことを祈念す


堂宇=『堂の建物。外部の人間が使う「お堂」に対して、寺院関係者などの内部の人間が使う語。』



蛯子(うばこ)稲荷大明神



野村専太郎・ます供養塔

韋駄天尊のご本尊は江戸中期の作とされ 明治 大正 昭和にわたり野村家が当地区の皆様とともに御守役を務めてまいりました
このたび 都庁舎移転先が西新宿に決定されたのにともない 政治 経済 交通の中心としての新都心及び関係各位の将来を永劫にご守護賜わるべくここにご尊像を新築申し上げ 併せて精神的憩いの場ともなりますように 健康と長寿に恵まれている野村専太郎夫妻が衷心より韋駄天尊に対し感謝と奉仕を捧げる姿をご奉納申し上げる次第であります




続く。