2019/07/01 日光街道富士塚巡り 02 京成千住大橋駅/千住大橋/素盞雄神社/ホワイト急便(せん♡たくや くん)/南千住駅/小野照崎神社

まだまだ日光街道を南に下る。
南千住駅からは日比谷線に載って入谷まで行く。



◆京成千住大橋駅




千住大橋

下は隅田川




素盞雄神社

<小塚原富士> 




お昼くらいに着いたのですが登れなかった。
準備はしているみたいだったので午後から登れたかもしれません。



素盞雄神社の富士山

 素戔雄神社には「瑞光石」が鎮座する塚がある。縁起の中で2柱の神が現れたとする祭祀上重要な場所である。この塚は、ある人の眼には富士塚として映り、“南千住富士”とも呼ばれる。また古墳が富士塚に転用されたと見る人もある。いずれにせよこの場所が聖なる場所であることに違いはない。
 この塚には、「瑞光石」に奉納された石造物以外に、人工の富士山=富士塚としての構造物がある。瑞光石の左側に「浅間神社」の碑がある。その脇から頂上に登山道が伸び、途中、五合目として小御嶽石尊大権現の碑、頂上には浅間神社奥宮がある。塚には、「黒ぼく」という溶岩塊が積まれている。富士講が建てた碑の多くは西側に林立し、北側には人穴も造られている。
 明治28年(1895)の由緒書によれば、元治2年(1865)に、黒ぼくなどの石を積んで塚を築き、浅間大神を祀った(但し、元治元年とする説もある)。現存する碑を見ると、造立当初から大正期にかけて、碑が断続的に建てられていったようである。
 その後時期は定かでないが、黒ぼくや碑をコンクリートで固め、土中に埋める措置が施された。幕末につくられた瑞垣が平成7年に取り払われ(一部、塚の脇に保存)、今日の姿に至っている。


瑞光石を調べてみた。
 当社創建の起源となった奇岩で、「神影面瑞光珪石(しんえいめんずいこうけいせき)」ともいうとのこと。
 千住大橋架橋の際、この石の根が荒川(現隅田川)まで延びていたため、橋脚が打ち込めなかったという伝承があるとのこと。またこの瑞光石のある小高い塚から“小塚原”の地名の由来となっているとのことだった。




素盞雄神社

こちらは一度来ているので細かいことはその時の日記で。
2016/06/30 part2 素盞雄神社/荒川区立荒川ふるさと文化館 - ovanの社会科見学












ホワイト急便(せん♡たくや くん)

こちら文具店の奥にあるのがホワイト急便




このキャラクターは初めて見たかも・・・。



南千住駅

こちらから日比谷線で入谷へ!




◆小野照崎神社

<坂本富士>

こちらは一度山開きの時に来ていた。
しかも10時からの儀式の時に行っていたので、細かいところはそちらで!

2016/06/30 part1 小野照崎神社(お山開き) - ovanの社会科見学





<小野照崎神社>






続く。