2019/07/13 南中野散歩 06 神明氷川神社/稲荷神社/正蔵院川島地蔵尊/正蔵院/中新/弥生町二丁目公園/藤神稲荷神社

まだまだ北上する。
神田川を渡る少し手前まで来る。



◆神明氷川神社



宗像神社/大國魂神社




〇嶋神社  稲荷大神/牛頭天王/宇賀大神


↑〇のところが読めなかった「三」でいいかな?






楽殿




百度




百度参りと百度
 願い事があるとき、人は神仏にお参りをして、その力にすがります。特に大願・宿願の場合には、ただ参拝するだけではなく、様々な方法で心をこめて願をかけました。その方法のひとつに、「百度参り」があります。拝殿や本殿と境内の特定の位置との間を、百回往復して願をかけるというもので、人目を忍び、はだしになって行いました。また、百度参りを行う際には、回数を間違えないように、往復するたびに備え付けの札を裏返したり、手に持ったこよりを一本ずつ折り曲げたといいます。
 この時の、特定の位置に建てられた石が「百度石」です。
 百度石は、百度参りの起点の石というだけではなく、大願成就のお礼として建てられたこともあったようで、ここに建つ百度石は、その形や大きさから、後者だと考えられます。
 区内の百度石は、他に江古田の法華寺、上高田光徳寺、新井薬師の境内にも見ることができます。
 





◆稲荷神社




正蔵院川島地蔵尊




 中央の地蔵尊享保十年(1725)に建てられたもので、正面の台石には「川嶋村内の善男善女が一人も欠けず皆でこれを建てた」と刻まれています。
 両脇の六地蔵は宝暦七年(1757)田口平四郎の妻が願主となり、川嶋村地蔵講中で建てたものです。
 地蔵菩薩は、お釈迦様の入滅後、未来仏(弥勒菩薩)が成仏するまでの無仏の時代に出現して、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の衆生を済度する菩薩で、三途の川の賽の河原で子ども達を救うやさしいほとけさまです。
 当時のこの地域の人々はどのような願いをこめてこのお地蔵様を建てたのでしょうか。
 久しく正蔵院の境内にあった地蔵尊を、此度参道入口にお移ししました。
 昔も今も変わらない願いをこめて






正蔵

本堂の前にテントが張ってあったので、正面を撮れなかった。
お葬式かな??



川住行教(かわずみゆきのり)の墓所





 当寺の墓地に川住行教の墓所があります。角柱杉の墓石に「真照院良誉行教」とあるのがそれです。
 行教は文政八年(1825)三河国西尾藩(現、愛知県西尾市)に生まれ、のち、藩主松平乗全、乗秋の二代に仕えました。
 江戸時代の末、幕府非常の際、乗全が老中の重職命ぜられ江戸に下ったおり、行教もこれに随行し万延元年(1860)三月井伊大老の暗殺事件がおき、乗全がその責を負い老中の職を辞して西尾藩に退いたとき、行教もまた帰藩しました。のち乗秋に仕えて大いに藩の改革につとめました。
 明治維新、新政府に選ばれて三河国の大参事に抜擢され、その名声は高かったと伝えられています。
 やがて明治九年、その職を去り、以来中野の雑色村に閑居して悠々自適の生活に入りましたが、明治十七年(1884)二月、病のため60歳で死去しました。
 後世「中野長者の伝説」の調査をした元陸軍中尉川住鋥三郎は、この行教の子です。









◆中新




<以下はネットで調べて口コミ情報(要検証)>
中野新橋を略して「なかしん」。
商店街名がかいてあるところにお相撲さんの絵があるが、貴乃花部屋のお相撲さんが時々歩いているとのこと。
かつては花街だった。





◆弥生町二丁目公園




◆藤神稲荷神社




続く。