2019/07/13 南中野散歩 08 秋津子育地蔵尊/大黒湯/鍋屋横丁/お題目石/鍋横みちしるべ/追分

鍋谷横丁という少し大きめの商店街を通る。
やっぱりまだまだ北上する。



◆秋津子育地蔵尊




お地蔵様の後ろにも何かあったが、字が判読できない・・・。



◆大黒湯

銭湯♪




◆鍋屋横丁





◆お題目石(鍋屋横丁の通り沿い)




この石碑は、杉並区堀之内にある妙法寺への参詣道に道しるべとして享保3年(1718)に建てられたものです。
 もとの参詣道は、新宿区との境界付近の本町一丁目から青梅街道をはずれて、この四つ角の所へ出る道が利用されていましたが、江戸時代後期に鍋屋横丁からの道が整備されました。




◆鍋横みちしるべ




 ここは古くから北は新井薬師 へ南は堀之内妙法寺へと通じる道が 青梅街道 から分かれているところである
 妙法寺 が元禄年間に厄除け 祖師として名高くなると 沿道は参詣人で大いに賑わい商家や料亭が軒を連ね 中でもこの角地の休み茶屋「鍋屋」はひときわ繁盛したため この通りを鍋屋横丁 と呼ぶようになった
 鍋屋を有名にしたのは名物の草餅とともに庭の二百数十株の梅林 であり 早春は梅香芳しく参詣客や文人墨客などの間でつとに知られるようになった
 鍋屋の繁栄を偲ばせるものとして文久二年奉献された東中野氷川神社の鳥居と平成十四年に妙法寺に移設した明治十一年建立の道しるべにその銘が刻まれている



 此処に明治十一年建立された「ほりのうちへ十八丁十間」と、妙法寺までの距離が刻まれた道標がありました。
 江戸時代後期(文化・文政)お祖師様として親しまれた妙法寺への参詣道の入り口を示すとともに、裏側には鍋屋横丁の由来となった休み茶屋「鍋屋」の証しも刻まれており、中野区の歴史の資料にも載る程、貴重なものでした。建立以来百二十五年の永きにわたり、まちの変遷を見つづけてきたこの道標が、平成十四年三月をもって、諸般の事情によりゆかりのある妙法寺に移設されました。



◆追分




google mapのマークの位置は上の写真のところ辺りだが・・・・・。
説明板などは何もなかった。




続く。