2019/08/12 杉並成田散歩 04 五日市街道/民間信仰石塔/白幡児童遊園/相生橋/善福寺川緑地(和田堀公園)/尾崎熊野神社/善福寺川公園

今度は北西へ進む。
広い公園や善福寺川があるんだが、あまり涼しくない・・・・。




◆五日市街道




 この前の道は、五日市街道です。
 五日市街道は、地下鉄新高円寺駅近くで青梅街道から分かれ、、松庵一丁目を通り武蔵野市小金井市を経てあきる野市に達する街道です。
江戸時代初期には伊奈道とよばれ、秋川谷で焼かれた炭荷を江戸へ運ぶ道として利用されていたようです。その後、五日市道・青梅街道脇道・江戸道・小金井桜道・砂川道などいろいろ呼ばれ、農産物の運搬や小金井桜の花見など広く生活に結びついてきました。明治以降、五日市街道といわれるようになりました。
 この街道に沿っていた区内の昔の村は、高円寺村・馬橋村・和田村・田端村飛地・成宗村・田端村・大宮前新田・中高井戸村・松庵村で、沿道の神社や寺院・石造物の数々に往時をしのぶことができます。
 『新編武蔵風土記稿』によると、当時の道幅は、馬橋村と成宗村は3間(約4.4メートル)程で狭く、大宮前新田・中高井戸村・松庵村8間(14.4メートル)とあります。これは3ヶ村が、新田開発により開村された寛文(1661~1672)初年の頃、道幅を拡げたものと考えられます。
 明治以後さらに整備舗装され、現在は全長約52キロメートル(杉並区内約8メートル)が都道主要地方道杉並五日市線)に指定されています。
 武蔵野台地を西から東へ相添って走る五日市街道と玉川上水は、多くの新田開発を促し、多摩地域の発展に大きな力を与えてきました。沿道にそびえる欅(けやき)並木は、この長い歴史の足跡を静かに眺めていることでしょう。




民間信仰石塔






 ここに建立されている石塔は、向って右から元禄十一年(1698)十一月二十日銘の地蔵塔、宝暦十年(1760)十月吉日銘の馬頭観音塔、宝暦三年(1753)十月吉日銘の地蔵塔です。
 これらの石塔には、何れも「念仏講中」「念仏講中16人」等と記され、ここ武州多摩郡成宗村白幡の人々が、現世での幸福と来世での往生安楽を願い、講を組織し、建立したものであることがわかります。
 地蔵菩薩の信仰は、仏教の民衆化とともに宗派を超えてひろまりました。地蔵菩薩は、冥界と現実界の境に立って人々を守護するということから、村の安全を守護する菩薩とされ、村の境や路傍又は辻に多くの建立されました。
 馬頭観音は、頭に頂く宝馬が四方の四魔を馳駆することを表わしていますが、そのために馬の守護神と考えられ、路傍や馬捨場などにも建立されました。
 石塔の南側の道路は、五日市街道の旧道で通称「白幡の坂」、西側の道路は「馬橋みち」といわれた古い道で、共に急坂な難所の一つでした。
これらの石塔を建立した白幡念仏講中も、昭和十五年頃までは、毎月この場に集い、念仏供養を行っていましたが、現在では毎年十月十五日に供養会を盛大に行っています。



◆白幡児童遊園




相生橋










善福寺川緑地和田堀公園



椎の古木

この椎の木は、もと五日市街道松ノ木にあり、道路の拡幅のため伐採される予定でしたが、地域住民の保存運動により、この地に移植されました。
この椎の木の皆さんの緑を愛する気持ちで、千年の後までも元気よく繁茂するよう見守って下さい。




◆尾崎熊野神社




 この神社は、五十猛命(いそたけるのみこと)・大屋津比咩(おおやつひめのみこと)・抓津比咩命(つまつひめのみこと)の三柱を祭神とし、旧成宗村の鎮守でした。
 当社の創建年代は詳らかでありませんが、大宮八幡宮・同村白山神社とほぼ同年代の創建と言われ、安藤本家文書、宝昌寺境内出土の板碑によると、鎌倉時代末期に鎌倉から移住してきた武士が、代々崇敬する紀州熊野権現をこの地へ勧請したのに基くと伝えられています。
 「新編武蔵風土記稿」の成宗村熊野社の条には、「除地、五畝、小名尾崎にあり、社は二間に二間半、神軀白幣、・・・村内寳昌寺の持なり。」とあり、江戸時代には、宝昌寺が別当を務めていました。
 明治維新後、大宮八幡宮神職が兼務するところとなり、明治四十一年、付近に散在していた稲荷社・猿田彦社・御嶽社を境内に合祀し、現在は境内末社として祀っています。
 地名の「尾崎」は、尾崎=小さな崎の意で、崎とは舌状にのびた台地突端部をあらわし、このあたりの地形に由来したものと考えられています。
 昭和四十三年秋、境内から縄文時代早期(井草式)の土器片、縄文時代前期(諸磯式)・土師器時代(鬼高式)の住居址が発掘され、古くからこの地には、人間が住んでいたことがうかがわれます。
 なお、境内にそびえるクロマツの大木は、当社の御神木で、樹齢約400年と言われ、区内でも有数の樹木の一つです。
 例祭日は、九月上旬です。




尾崎熊野神社クロマツ




 このクロマツは、幹周囲(目通り)3.27m、根元幹周囲5.5m、樹高32m、樹齢は400年以上と推定されます。
 クロマツは俗に雄松と呼ばれ、アカマツに比べて大形で葉は大きく、樹幹も太く、樹皮が黒褐色をおびています。近年、クロマツは、環境の悪化により都内では年々少なくなってきています。
 このクロマツは御神木として古くから氏子によって手厚い保護を受けており、樹冠面積は十分は広がりを持ち、樹勢も優れ、都内でも有数のクロマツの巨樹として貴重なものです。



境内社



御嶽神社




楽殿



鳥居




善福寺川公園





続く。