2019/08/12 杉並成田散歩 05 屋倉橋/田端神社/天神橋公園/西田端橋/松渓公園/西田公園/中道寺

ここでも北西に進む。



◆屋倉橋

木で橋が見えない(w










◆田端神社




 当社は菅原道真公を祭神とした旧田端村の鎮守で、かつては北野神社(天満宮)とも、あるいは社の場所が田の端にあったことから田端天神とも呼ばれ、村の産土神として崇められるようになったといわれています。
 創建は応永年間(1394〜1427)といわれ、社伝によれば足利持氏上杉禅秀とが戦った時、品川左京の家臣良影という者がこの地に土着し、京都の北野神社の分霊を祀ったことにはじまると伝えられています。また、村名も社名に由来するといわれていることから、当社が古い社に属することがうかがわれます。
 明治四十二年、当社は村内に鎮座してあった天祖神社・稲荷社・子ノ権現社・山神社を合祀しました。これにともなって各社の祭神が当社に祀られ、現在の祭神は菅原道真公・天照皇太神・豊受比売神大国主命大山祇神の五柱です。なお、田端神社の社号は明治四十四年に改めたものです。
 当社祭神、大国主命は足痛・腰痛に霊験有りとして知られ、社蔵の木槌のご利益への返礼として奉納された小槌が多数残っています。
文化財としては延宝五年(1677)銘・享保三年(1718)銘の庚申塚、江戸時代に造られたといわれる木造鳥居、江戸末期から大正期にかけて奉納された力石などがあります。





稲荷神社




上の写真、稲荷神社の狐さんの裏にも小さな祠があった。



境内社




庚申塔など



力石ならびに板絵着色力石持上図

 力石は、若者たちが日常の遊びや、神社の祭礼の時などに担いでその力を競い合い、力試しをするために使った石です。
 田端神社の力石は、二十八貫目(約105kg)から五十貫目(約206kg)と刻まれている十一個があり、大正六年に奉納された九個は一部朱が塗られていた痕跡が残っています。
 板絵着色力石持上図は、中型の絵馬で、社殿、鳥居及び三個の力石と、力石を持上げる若者の様子が描かれています。全国的にも珍しい画題で、力石を担ぎ上げる方法の一つがわかる貴重な資料です。



楽殿



表忠碑



表忠碑の由緒が書いてあるらしい。



鳥居



◆天神橋公園




◆西田端橋










◆松渓公園






◆西田公園




◆中道寺

こんなに立派なお寺なのに杉並区教育委員会の説明板がない!
見落としたかなあ??



青面金剛像など



妙王稲荷神社



地蔵





こんなに葉が長い松があるんだね!



鐘楼門




 この鐘楼門は、天明元年(1781)に竣工した表門と鐘楼を兼ねたもので建築当初の姿をよくとどめています。一間一戸の楼門形式の四脚門ですが、上層は鐘楼で桁行三間・梁間二間、下層は桁行一間・梁間二間とし、上層に腰組付の縁を廻していあすが高欄はありません。建築様式は基本的には禅宗様で、肘木は和様とし下層の頭貫上に蟇股を入れ、江戸期の折衷様の特徴を示しています。本鐘楼門は都内においては珍しい建築遺構であり、建築史上からも大変貴重なものです。




続く。