2019/10/15 群馬ツアー 02 諏訪神社/下仁田町自然史館/青岩公園/道の駅「しもにた」/貫前神社

諏訪神社




彫刻が素晴らしい!



 諏訪神社拝殿の外観は、入母屋造りで向拝部は破風となっており、正面に千鳥破風がついている。本殿は一間社流造りで拝殿との間は廂(ひさし)でつながっており、拝殿・本殿の壁面や虹梁は彫刻でうめられている。
 建築に関する文献や棟札は無くなっているが、本殿は天保八年(1837年)信州諏訪市の矢崎善司が棟梁となり建築された。
 拝殿については、弘化三年(1846年)やはり大隈流の矢崎房之進昭房による建築である。
 本殿建築の棟梁となった矢崎善司の師匠は、「諏訪大社下社春宮幣拝殿(国重要文化財)」を建築した柴宮長左衛門という大隈流の名匠である。
 彫刻と建築が一体化されており、特に彫刻がすばらしく、彫刻師の苦心のほどが忍ばれる大隈流の技を伝える傑作である。諏訪神社の境内にある「近戸神社」は、天保五年(1834年)に再建された歴史ある社殿であり、やはり大隈流の建築である。




諏訪神社の欅(けやき)
 このケヤキは、諏訪神社の御神木であり、樹齢600年と推定されている。樹勢は盛んであり、目通り5.35m、根廻り7m、高さ約25mの大ケヤキである。ケヤキはニレ科に属し、日本の特産であり、山中に多い落葉樹である。


境内社



鳥居





下仁田町自然史館

下仁田は地質学的に貴重な場所であり、下仁田ジオパークと言われている。
自然史館では下仁田で起きた多様な地殻変動の痕跡などを紹介。
化石や鉱物などもたくさん展示されていた。

一番印象に残ったのが「板倉クリッペ(根なし山)」
岩盤の上を全く別の場所から山が移動して来たと言うことだ。
そしてその山がどこから来てるのか、その動力源は何なのかは全く解明されていないという。もし解明されれば日本列島がどのようにできたのかも明らかになるかもしれないとのこと。
「仮設」すらなかった。。。。。
来年「深田地質研究所」に行くことがあったら聞いてみよう!!




◆青岩公園

台風の影響でまわりを重機が作業していた。
「板倉クリッペ」はこの青い岩盤の上を滑ってきたとのこと。



◆道の駅「しもにた」

ここでお昼ご飯♪




下仁田といったら「こんにゃく」と「ネギ」




台風のせいで裏山が何ヶ所か崩れてしまっている。




◆貫前(ぬきさき)神社






高さ約三九五センチの一対の銅製燈籠で、慶応元年(1865年)製作、慶応二年にここに建てられた。
 燈籠の基礎部と竿(さお)部の間に、燈籠建立の際の献納者名・居住地・離納額が二段に刻まれている。献納者の人数は合計で一五四四名、献納額は総額四、七九〇両にのぼり、地元の多数の養蚕農家をはじめ上州・江戸・横浜の生糸・絹商人らが献
納している。
 本県をはじめ、周辺各地における養蚕・製糸業の繁栄興隆と、これに携わる人々の祈念を明確に示す資料として重要であり、七年後に開業した旧富岡製糸場の先駆的記念碑ともいえる貴重な文化財である。




社殿
 現在の社殿は徳将軍家光公の命による寛永十二年(1635)の造営である。
「元禄十一年(1698)五代将軍綱吉公の命により大修理した」江戸初期の極彩色総漆塗の精巧華麗な造りであるだけでなく、本殿の構造が単層二階建の俗に「貫前造」という当社独特の社殿形式と「雷神小窓」と称す小窓が設けられていることから、明治四十五年旧国宝、昭和二十五年国指定重要文化財に指定されている。
 拝殿、楼門(昭和五十一年国指定重要文化財に追加指定)及び東西廻廊は、同時代の
建築である。

摂社「抜鉾若御子神社」
 抜鉾若御子神安閑天皇の御代に現われたと伝え上野国神明帳に従五位抜鉾若御子明神記載されている。明治三十八年に一ノ宮字若宮の地より現在地に遷座され、現在の社殿は棟札によると文化十二年の建立と伝う。




末社「月読(つきよみ)神社」

 月読神社の現在の社殿は、寛永十二年以前の旧御本社拝殿を牛王道として使用し、明治維新ぼ、月読見命をお祀りして月読神社と改称した。明治四十一年、現在の氏神である社久司神社(秋畑琵琶澤)雷電神社(秋畑二ツ石)、湯面神社(秋畑裏根)近戸神社(富岡市野上)の各社を合祀した。
 月夜見命他十七社の神々をお祀りしている。




おそらくこちらが上記説明の十七社の神々だとおもう。



楽殿




大杉

良く見ると葉っぱが一枚もない。
かなりの老木だ。



樹齢千二百年と云う。天慶二年下野野國唐澤山(現栃木県佐野市)の城主藤原秀郷(佐藤太秀郷)が、平将門討伐の際、当神社に参詣し倉の穀の数三十六本の杉苗を奉納した。そのうちの一本だという。



楼門



歴史を訪ねるみち

 のどかな山里をしのばせる風景の中を通る歩道は、富岡市の宮崎と中高尾を結ぶ11.5kmの展望の良いみちです。上毛カルタにもうたわれている貫前神社は国指定の重要文化財となっており、参拝者が絶えません。
 崇台山(そうだいさん)のふもと長学寺(ちょうがくじ)は、七日市藩前田家の霊所でもあり、秋には楓谷(かえでだに)と呼ばれる様に紅葉がすばらしく独特の荘厳さをもたらしています。




この後は高崎駅付近の温泉と友人宅でお酒をいただき、帰宅。
歴史や地学をたくさん勉強できてよかった!

しかし、今回の台風の爪痕はすごかったなあ。
道路も土砂を片付けたばかりの所もたくさんあった。
被災された方に心よりお見舞い申し上げます。