文化財ウィークで特別公開中の伊藤博文の墓所へ。
2019年は10月27日と28日が公開日だった。
2016年の5月に来たときには中へ入れなかった(w
2016/05/22 part3 伊藤博文墓所/下神明天祖神社/荻窪白山神社 - ovanの社会科見学
伊藤博文のお墓
神社
「末松謙澄(すえまつ けんちょう)夫妻のお墓」ということらしい。
ただ、wikiで調べると墓は「東京都品川区北品川4丁目の清光院」とあったので、この辺のことや、何で神社の形をしているかなどがわかる方がいらっしゃったら教えてください。
(o*。_。)oペコッ
さらに調べると義父が「伊藤博文」とあった。
配偶者の「末松生子」は伊藤博文の次女とのこと。
伊藤博文の妻「梅子」墓
伊藤博文墓
伊藤博文墓所
伊藤博文は、天保十二年(1841)に長州藩(山口県)の武士の子として生まれ、松下村塾(しょうかそんじゅく)で学んだ。若くしてイギリスに遊学し、帰国後は海外の状勢をもとに、新政府の樹立に力を尽した。
明治の新政府では要職を歴任し、その間に三度も欧米諸国を巡って各国の制度を視察して、憲法制度や行政組織などの内閣制度の基礎をつくった。明治十八年(1885)にわが国初の総理大臣となり、長期間にわたって国政の発展に貢献した。
明治四十二年(1909)十月に、中国のハルピンで朝鮮の独立運動家によって狙撃され、六十九歳で没した。
伊藤博文胸像
google mapを見てみると、邸宅のあった跡などが近辺にあるらしい。
建物は現存していないらしいが、今度この近辺に来るときはその辺りも巡ってみよう!