浅草寺周辺で今まで見ていなかった場所へ。
結構残っているんだね・・・・。
◆河竹黙阿弥と浅草碑
歌舞伎作者河竹黙阿弥(1816~1893)は文化十三年江戸日本橋の商家に生まれ、かぞえて二十歳のとき五世鶴屋南北に入門、七十八歳で歿するまでに三六〇篇にのぼる作品を残した。
天保の改革による江戸三座の猿若町移転に伴ってこの地に移り住んだのは、弘化年間三十歳ごろから明治二十年、本所南二葉町いまの墨田区亀沢に隠棲するまでの約四十年間である。宇都谷峠・十六夜清心・三人吉三・弁天小増・村井長庵・御所の五郎蔵・髪結新三・河内山と直侍・鳥ちどり・魚屋宗五郎・土蜘・船弁慶・紅葉狩などの代表作をはじめ、ほとんど全作品がここで書かれたのであった。
坪内逍遥は黙阿弥を「真に江戸演劇の大間屋なり……一身にして数世紀なり」と評し「日本の沙翁」とも讃えたが、馬道町二丁目十二番地といったこの地が浅草寺子院正智院の境内だったので、江戸、東京の市民からは「地内の師匠」と親しまれたという。
◆仲見世通り
雷門の後はまた都営の浅草駅から帰った。
次の日が休みなので思う存分散歩した(w