2020/02/15 世田谷野沢散歩 06 自由が丘熊野神社/自由が丘熊野神社表参道/MILKLAND HOKKAIDO/岩立フォークテクサスタイルミュージアム/自由が丘デパート/自由が丘駅

まだまだ南下。
自由が丘の駅に近づいたとたん、急に賑やかになってきた。
道が狭いねぇ・・・・。



◆自由が丘熊野神社



熊野神社と目黒ばやし
かつて谷畑といわれた自由が丘、緑が丘一帯の氏神様であった熊野神社。地元では「谷畑の権現様」と呼んで親しんできた。その昔、那智熊野神社(現在の和歌山県)を極楽浄土にみたてた熊野参りが盛んだったが、江戸時代に谷畑の村人が、本宮の分霊をいただいて帰り、祀ったのが始まりという。毎秋、神楽殿で催される目黒ばやしは百数十年の歴史を誇る。




伏見稲荷神社




楽殿



庚申塔



栗山久次郎翁顕彰碑




自由が丘誕生の祖として、ここに銅像が建立されている栗山久次郎は、嘉永六年(1853)三月十六日に旧家栗山家の長男として誕生した。この年はペリー提督率いる黒船が浦賀沖に来航し、長い鎖国から日本が世界に登場する契機となった年であり、つづいて徳川幕府は慶応三年(1867)に大政奉還し、明治の幕開けとなった。明治二十年五月月翁は34歳の若さで衾村戸長となり、市町村制施行を機に、同二十二年六月碑衾村村長に任命された。
 我々の自由が丘、緑ヶ丘は昔から熊野神社を中心に住民の心を一つに結集し、進取の気風に富む土地柄だったが、翁は地域の指導者として地域住民の信頼の下に旧憲法発布等の激動する時代の中で、絶えず新しい時代に対する慧眼を以て村政、教育文化の向上にその情熱を注いだのである。特に晩年には耕地整理事業の必要を提唱し、自ら発表の第一人者として現在の自由が丘駅の誘致に尽力され、十年余の年月をかけて耕地整理事業を完成した。中でも特筆すべきは、旧来の碑衾町字衾の地名を、地域の発展を願う住民の意の下に碑衾町大字自由ヶ丘と改名を決断したことである。この時の自由ヶ丘命名が現在の街の基盤となった。
 この翁の徳功を讃え、我々有志一同は、翁の銅像を建立50年を記念し、この顕彰碑建立するものである。





◆自由が丘熊野神社表参道





◆MILKLAND HOKKAIDO

牛さんが気になって写真撮っちゃった(w



◆岩立フォークテクサスタイルミュージアム

館長の岩立広子氏がインドを中心に収集した染織品を公開しているとのこと。
IWATATE FOLK TEXTILE MUSEUM




自由が丘デパート

右側の建物。
なかなか楽しい空間だね。
地下はチェックしていないが、1Fは雑貨や服など、2F3Fは飲食店が多かったかな?



自由が丘駅

かなり久々に来た。
久々すぎて変わったのかどうかもわからない(w

とりあえず散歩はコチラで終了。
天気も良かったし、そこまで坂はきつくなかったけど、久々の長距離散歩は疲れたなあ。
多摩川駅まで歩きたかったんだけどね。。。。

がわかりづらくてゴミゴミした渋谷で乗り換えるのはやめて、大井町線大井町経由で帰った。
しばらく大井町線には良く乗りそうだ。