2020/02/23 鵜の木散歩 07 密蔵院/横須賀線六郷用水ガード/多摩川2号踏切/東海道新幹線多摩川橋梁/丸子の渡し跡/沼部駅

見逃してしまった「丸子の渡し跡」に向かって一気に北上する。


◆密蔵院


金剛尊院


供養塔群



仏旗について

仏教徒の、大いなる旗印となるものです。世界仏教徒連盟(WFB)が結成され、1950年の第一回・世界仏教徒会議で、正式に『国際仏旗』として採択されました。

青 仏陀の髪の毛(禅定(ぜんじょう))
黄 燦然(さんぜん)と輝く仏陀の身体(金剛)
赤 仏陀の説法される歯(清浄(しょうじょう)
樺(かば) 仏陀の聖なる身体を包む袈裟(けさ)(忍辱(にんじょく))



正面金剛及び二童子四夜叉立像(にどうじよんやしゃりゅうぞう)

 木彫寄木造で彩色を施し、像高91cm、二童子、四夜叉、三猿を具備。「沼部の庚申さま」として、江戸時代から現代に続く更新信仰の本尊として、尊信の対象となっています。
 造像年については永らく不明でしたが、平成十七年(2005)に行われた保存修理の際、青面金剛の胎内から古文書等が発見され、元禄七年(1694)、野村文左衛門秀豊らを施主とし、江戸浅草町の大仏師浄心が造像し、多数の結縁者が関わっていたことがわかりました。
 また、文化九年(1812)地元の大仏師楠運彫により修理されたことも明らかになりました。地元の庚申講は、現在も行われています。


庚申供養塔

 寛文元年(1661)に造立された本区最古の庚申供養塔。当時の沼部村村民の有志8名が造立したもの。舟型の石に地蔵菩薩像を彫った形態は、初期の庚申供養塔の様式を示している。
 銘文中の「庚申待」の文字は、本区所在の庚申塔中最初の記載で、庚申待の習俗を知る資料としても貴重である。
 庚申待とは、道教の思想に基づく民間信仰で、庚申の日に人びとが宿に集まって、徹夜で談笑し、厄除息災を祈念する風習である。



大日如来坐像

 木造寄木造り、玉眼、漆箔、像高26cm。
 本像は当時の保存で、像底の墨書銘により鵜の木村の真雄院覚源が願主となり、寛永十一年(1634)に造立されたことがわかる。
 保存状態もよく、小型ではあるが、作風も江戸初期の典型的な様式を示すもので、在銘の大日如来像として貴重な存在といえよう。



山門

横須賀線六郷用水ガード

上は横須賀線東海道新幹線




多摩川2号踏切






東海道新幹線多摩川橋



◆丸子の渡し跡



 丸子の渡しは、 沼部(現田園調布本町)と上丸子(川崎市中原区)とを結ぶ 多摩川の渡しで,、古くは「まりこのわたし」ともいった。 渡し守子の「もりこ」がなまって「まるこ」となったとも言われる。
 この付近は,、すでに鎌倉時代の文書に「丸子荘」と記載されたり、また文明十八年(1486)から十九年にかけて、京都から東国方面へ旅行した際の記録である 「廻国雑記(かいこくざっき)」に「東路のまりこの里に行かかり あしもやすめずいそぐ暮れかな」と詠まれており、 中世以来の渡し場と推定される。
 江戸時代になると, 中原街道が整備され,、物資の搬入等に利用され,た。昭和九年(1934)丸子橋が完成するまで利用され,、江戸東京の玄関口として大きな役割を果たしていた。




沼部駅



ゴールの東急多摩川線沼部駅


今回はだいぶ花粉に悩まされた。
目がかゆくてたまらない・・・・。
本格的に大田区に入る前に世田谷の残り、目黒を攻めようか・・・・。
迷い中。