2020/03/19 糀谷散歩 09 弾正橋/京急蒲田駅/妙安寺/蒲田八幡神社/モヤイ像/蒲田駅

京急蒲田駅からはさらに西へ。
JR蒲田駅まで歩いてゴール。


◆弾正橋





呑川緑道




弾正橋の橋名は、行方弾正直清に由来しています。
 行方弾正直清は、後北条氏の家臣として仕え、六鄉領一带 (蒲田から六郷地域) を支配する領主でした。直清は、現在の円頓寺がある②のあたりに屋敷を構えていましたが、1590年(天正十八年)豊臣秀吉小田原征伐の際に討ち死にしました。
 その後、直清の弟の日芸が屋敷跡に円頓寺を創建し、供養塔を建立したとされています。呑川を渡った円頓寺に通じる道は、行方弾正直清との縁の深さから弾正道と呼ばれており、この橋の名のいわれとなっています。

明治~大正の蒲田
 この絵は地元の郷土史料家が明治後期から大正時代の蒲田地域を描いたものです。
 左上から右下にかけて呑川が流れ、左縦に現在のJR線、右縦に京浜急行線、下中央に舊蒲園、下右の吞川と京浜急行線の交差部の左側が旧弾正橋①の位置で、中央の少し右に弾正橋の名前の由来となった行方弾正直清宅跡の円頓寺②が見られます。
  ①弾正橋   ②円頓寺

蒲田里梅園と行方弾正宅跡
 この絵は江戸時代後期に刊行された江戸名所図会の一枚です。上段に、かつて梅屋敷と呼ばれた助左衛門の屋敷周辺の梅園③(現蒲田1
丁目30番、蒲田小学校付近)、下中央に行方弾正宅跡として円頓寺②が描かれています。
 上記の俳句「梅干を 見知て居か 梅の花
の作者 嵐雪(1654年~ 1707年) は、松尾芭蕉の高弟でした。
①弾正橋  ②円頓寺  ③梅園



京急蒲田駅



◆妙安寺



妙安尼(みょうあんに)供養塔
 宝篋印塔(ほうきょういんとう)、高さ124cm。
 後北条氏の被官人(hかんにん)、当地の地頭行方(じとうなめかた)修理亮(しゅうりのすけ)義安の室(しつ)、妙安尼の供養塔であ
る。妙安尼は、義安の死後この地の豪族、兄斉藤政賢の屋敷内に庵を結び、池上本門寺十二世日現に帰依し、天正十七年(1589)に没した。その後この庵室(あんしつ)が妙安寺となった。
 この供養塔は、台石の銘文により寛永二十年(1643)に造立されたと考えられる。



日蓮聖人坐像(非公開)
 桧材寄木造、彩色、玉眼。
 像高36.7cm。
台座の裏に、慶長十七年1612)石井新右衛門尉の発願によって造立された旨の墨書(ぼくしょ)銘がある。この周辺に石井姓は多いが、石井新右衛門尉については明らかでない。後年修理塗替えが施されている。
 在銘の祖師像として、本区では池上本門寺祖師像に次ぐ古いものである。


山門




◆蒲田八幡神社

工事中で中に入れなかった。



モヤイ像

3/15に表から撮ったが、裏にもお顔があったんだね!
2020/03/15 六郷散歩 01 高輪ゲートウェイ駅/蒲田駅/モヤイ像/蒲田東口中央通り/鳴門鯛焼本舗/ぽぷらーどキネマタウン/蒲田東口一番街通り - ovanの社会科見学




蒲田駅

ゴールのJR蒲田駅

ものすごく天気が良くて暖かかったので途中からコート脱いだ(w
今回も銭湯がかなり多かった。
早い時間からやっている所もあるんだね。